自分のヒプノシスマイクを持つということ
タイトルは大袈裟だけど、別にそういう哲学の話とかではないです。
ただ、私がヒプノシスマイクというコンテンツに出会って、私自身が少し強くなって生きやすくなった、というだけのただのヒプノシスマイクを推す話になります。
ご存知の方は多いと思います。
なにがって?
ヒプノシスマイクの世界の治安は悪い、ということです。
今まで色々なジャンルを好きになって来ましたけど、ここまで治安の悪いコンテンツを好きになったことはなかったです。
治安の悪さはまあ直接的には関係ないんですけど、出てくるキャラクターがラップするわけですよ。ラップって要するにdisりあうことも往々にしてあるわけだし、スラングもたくさん出てくる。
それに、言葉も強いし、そして悪い。
普通に生きてて聞くことなんてほとんどない言葉を、ヒプノシスマイクというコンテンツはガンガンに使ってきてくれる。
実に、爽快です。
私が変な性癖を持ってるから、というわけではないとは思うんですけど、強い言葉は時には自分を鼓舞してくれますし、時には冷静にさせてくれると思ってます。
だからか、爽快というか、すっきりするんです。
良いメロディーとリズムに乗ったリリック。それぞれが魅力的なキャラクターに、考察しがいのある世界観。それぞれが相まって、非常に中毒性が高いもののように思います。
コンテンツの発表当初からずっと好きで、舞台、漫画化、アニメ化とさまざまなメディアミックスになっていくなんて想像してなんかいませんでした。
でも、きっと、ヒプノシスマイクというコンテンツ、HIPHOPやラップという文化が今の私のように、しんどさから解放させてくれる存在として感じている人は多いんじゃないかな、と思ったりしてます。
私はしがない社会人です。このご時世でも仕事が休みになったりしない、いわゆるエッセンシャルワーカーというやつをやってます。
自分の職場がホワイトかブラックかと言われれば、ホワイトに近いグレー、といったところだと思います。福利厚生的にはね。
でも、まあ見えないところではいろいろあるのが世の常でです。そんなひどいパワハラではないんですけど、まあまあなパワハラがちらちら見える職場なんですよね笑
うわー本当にこういうこと、この時代にあるんだー、とある意味面白いことは面白いんですけど、ああいう対自分への理不尽な態度って結構メンタルが抉られるんだな、と身をもって実感しています。
まあ、続くようなら辞職覚悟で上司とやり合う予定なんでいいんですけどね。
パワハラ、ダメ、ゼッタイ。
まあ、観音坂独歩よりもライトな社会人の私ですけど、元々はそんな暴れ馬な方ではないし、メンタルもそんなに強い方じゃなかったです。
でも、ヒプノシスマイクと出会って、病んでもそこから這い上がる生き方ができるようになった気がします。
よくある夢小説のようにキャラクターが応援してくれる、と言うものより、自分自身が武装する、というニュアンスでしょうか。
荒廃した世界観で、女尊男卑のような政治体制、そこに反抗していくレジスタンス的な男性キャラクター達。
戦いこそが生きる道であり、勝者こそ正義
自分の正義を貫きたいなら戦え、そして勝て
私のメンタルが荒廃してるからかもしれないですけど、ヒプノシスマイクからそういうメッセージを感じています。
強いっていいよな!!!!
いや、全然ラップとかできないし、上手く韻も踏めない、ただのHIPHOPに関しては完全なるにわかなんだけどさ、HIPHOPって最高だな!!!!って思ってしまうのは仕方のないことだと思います。
治安が悪い部分が私の中にできたことで、反抗することを覚えてしまったんですね。
理不尽だと思うことに、なぜ泣き寝入りしないといけないのか。
上の発言に逆らったらいけない、というのはいかがなものか。
ヒプノシスマイクは王道か邪道かはさておき、各キャラが自分の信念を貫くところがとても好きです。
しかも、その手段に言葉を使う。
言葉にしにくいんですけど、言葉を使って戦う、ってところに少し救われた。
そして、強くなろうと思えたし、強く生きられる気がした。
まあ、戦うことが正義なわけではなく、そこから良い改善策を見つけられるのなら、喧嘩腰ではなく協議という形に変えれば良いわけで。
つまるところ、思うことがあるなら発信しないとなにも変わらないし、なんのための言葉だよ
と、考え方が変わりました。
まあ実際、声の大きい人の意見が通りやすい社会ですから、自らが声を上げていかないと意見なんて通るわけはないんですけどね。
ただ、今までは事なかれ主義で、自分の意見も言えないような自分自身が、少しだけ強くなれた、そのきっかけがヒプノシスマイクだった、というしょうもないお話なんですけどね。
個人差はありますが、ヒプノシスマイクはいいぞ。
↓↓↓↓↓以下、ちょっとフェミっぽい話が出てくるので、自己責任でお願いします↓↓↓↓↓
中王区の曲の「Femme Fatale」
最高に強くてかっこよくて大好きです。
コンテンツの制作側が想定した流れなのかは置いておいて、YouTubeのコメントでよく見掛けたのが、「女が強い世界って生きやすそう」という感じのコメント。
別にフェミってわけじゃないんですけど、それな~~~~~~~~~~って共感の嵐だった。
今までの人生、女だからって被害に遭ったり、搾取されたり、我慢したり、ってことは思い返せば誰しも1つや2つはあると思います。
そう感じることが普通のことだと思い、何も感じなくなったり、セクハラまがいのことを言われても、またか、って思ったり。
でも、「違う、女性も強い」っていう圧倒的な強さを見せつけられたようで、これまた少し強くなれた。
元々、「女の子だから」とかって言われることが昔から腑に落ちなくて、女だからなに?別になんでもできるけど、と思ってきてました。
女の子なのに、がさつだね
女の子なのに、家庭科できないの?
女の子なのに、怪我ばっかりして
女の子なのに、結婚したくないの?
うるせぇよ、って話です。別にがさつなのは性格だし、不器用だから家庭科なんてすごい苦手だし、裏山が遊び場みたいな幼少期だったから生傷が絶えなかっただけだし、結婚には今でも興味は湧きません、他人と同居なんて考えられない。
全部全部、女だろうが男だろうが関係ない。
女だからって、気が使えたりおしとやかさを身につける必要があるわけじゃないし、
女だからって、家庭科ができるわけじゃない
女だからって、動くのが好きな子もたくさんいる
女だからって、結婚したいとは限らない
その価値観に、私も侵食されていきました。
女の子だから、女性だから、と枕詞のように念頭に置いて考えることが日常化していて。
弱い立場で、搾取される側だとしても、別になんとも思わなくなって、ただただ理由のないやるせなさを感じることが増えて。
でも、中王区は違う。
女性であることがデメリットではなく、メリットとして扱われる。
いわゆる「深夜にラフな服装でコンビニに行ける」というアレです。
まあ、男性への税金が10倍のあたり、ちょっとやりすぎだなぁとは思いますけど、でも、それくらい恐れられる立場になって初めて、女性も男性と同じ行動を取れるんだな、と感じたわけです。
ちょっと話は変わるけど、セクハラってね、すんごいメンタルを削られるんです。
たった一言、されど一言。
あくまで個人的な視点ですけど、自ら性的な対象になろうとしていない場面で、関係の薄い男性から性的な目で見られることって非常に気色悪い。
その瞬間、女であることに嫌悪さえしてしまいます。
私は別に女性性に違和感を覚えたことはないです。
でも、そのときだけは女で生まれたことを後悔してしまいます。
きっと中王区では、そういう思いはしないんでしょう(最も、女同士のいざこざは多そうだけど)。
自分ではどうしようもない部分を弱みにされない。
中王区、ひいては言の葉党の支持率が高くなるのは、女性にとっては希望であり、そこが第一党であるからこそ、女性という部分が強さになる、という意味が孕んでるんだと思います。
セクハラされない、弱いと思われないために、自己防衛として強い女になろうとするのではなく、ただ単にかっこいいから、というファッション感覚で強い女になれる、そんな時代が来てほしいものです。
でもそれは男性側も一緒で、負わなくていい責任を負ったり、強くないといけないことを強要されるてしまわない、それぞれが性別に左右されないような世界になればいいな、と思います。