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日々の観劇の感想、妄想爆発した感想を言語化した掃き溜め。

誰しもが光であり、陰である ―すずめの戸締まりの感想―

遅ればせながら、『すずめの戸締まり』を観てきました~~~~~~!!!!!

良かった、と一言で表すには複雑で、だからといって言葉を尽くせばいいかと問われれば、それは違うと思う、そんな感想です。

ただ、誰かにはこのシーンが心に触れるだろう、誰かにはこの人物の心象が胸に響くだろう、誰かはこの物語を直視できないだろう、と、多種多様な感想を持つことが想像できる、そんな作品でした。

※もう、それは無遠慮に、配慮などせずにネタバレをします。ご了承ください。

※映画+友人に『芹澤のものがたり』を朗読してもらったのを聴いた程度の知識です。

 

宗像草太という人間

出オチですが、私は宗像草太に落ちました。

予告の時点で、めちゃくちゃルックスが好きでした(ヒント:ジブリの中ではハウルが好きです)

長髪の、なんだか気怠い雰囲気を醸し出した、ちょっと面倒くさそうな青年。

宗像草太の第一印象はこうでした。

でも、実際の中身は異なって、それこそ第一印象のそのままでいてくれたほうが楽だったのではないか、と思うくらいには私の琴線に触れる存在でしかなかった。

真っ直ぐで、自分の役割を認識していて、それに疑問も抱かずに、宿命を背負って生きている。

どうして、彼に落ちないことなどあるだろうか?(いや、ない)。

眩しすぎるんよ。それこそ、目も眩むくらいの、まばゆさ。

閉じ師としての運命を定められて生まれてきた。それを受け入れて生きる姿は、凡人にとっては眩しすぎる。受け入れて生きることこそが、ノブレス・オブリージュだとでも言わんがように。

もしかしたら、宗像草太も自分の生き方に疑問を抱いたこともあっただろう。

閉じ師として生きたくない、と思ったこともあったかもしれない。

けれど、現在の彼が選択したのは、『閉じ師として生き、教師の夢を追う』ことだった。

それだけで、とても強いんです。心が強い。

宿命を受け入れながら、けれども自分の夢を叶えようと、両方を欲しがる欲張りになる選択をしてしまった。

選択とは、捨てることを、まず連想してしまいます。だって、欲しいを全て叶えられるほどの力も強さも、私は持っていないから。

宗像草太は覚悟を持って生きている。

弱冠22歳の青年が背負うには、重すぎるもの。

一体何が、彼をそう駆り立てるのだろうか、と思ってしまった。

要石となった(経験した)あとも、宗像草太にとっては閉じ師である自分と、扉やミミズ、常世の存在を知らない(感知できない)只人という感覚は消えないと思います。

けれど、それまでは彼自身の中での生きる意味において、閉じ師>教師、であったことは否めないと思います。誰に感知されなくてもいい、それが閉じ師の使命だから、と心の隅には、どこか諦めがあったのかもしれません。

でも、鈴芽と出会い、「すごいことをしてる!」と鈴芽に認められ、自分の運命を真正面から肯定してくれる存在と出会った。きっと、これは彼にとってかなりの衝撃だったのかもしれません。それこそ、自分の価値観を打ち砕いて、諦めを吹き飛ばすくらいの、とても強い衝撃。

芹澤のものがたりで、友人の芹澤にさえ、閉じ師のことは言っていない。「家業」とは言っているけれど、「いつか聞いてくれるか」と、はぐらかしたまま。

言わないではなく、言えないんだと思います。どうして、言えないのかまでは、ちょっとすずめの戸締まりに触れて日の浅い私には分かりませんが、きっと、ただならぬ思いがあるんだと思います。

そんな状態のときに、鈴芽と出会った。閉じ師のことを知り、共に立ち向かう相手ができた。

だからこそ、「まだ生きたい」と願ってしまった。

閉じ師としてのノブレス・オブリージュを振り払い、只人と同じ欲を、持ってしまった。

ですが、だからといって彼がただの人となったかと言われれば、違う。

これでやっと、宗像草太という人間に成れたのかもしれない、と思いました。

 

彼が歩いてきた道は、どんな道だったのでしょう。

彼が見てきた景色は、どんな色をしていたのでしょう。

彼が触れた愛は、どんな形をしていたのでしょう。

 

今の私は、宗像草太がどのように生きてきたのか、それを知りたい思いしかありません。

私の癖として、神聖視をしてしまう傾向があります。迂闊に触れられない、と思いがちです。

だからこそ、宗像草太も閉じ師である前に、人間だったんだ、ということを知りたい。

映画の中では、あまり彼の情報は明らかとなっていません。でも、そこから、少しだけ、彼という存在が見えてくる気がします。

 

育ての親である、祖父

一人暮らしのアパート

芹澤朋也という友人

ものは多いが、きちんと片付けられた部屋

きっと几帳面で整理整頓ができ、面倒見のいい性格

関わった人から愛される、人の良さ

 

書き出して思った。あーーーーー、こういうところが好きなんだよ……。

急に田舎の母ちゃんムーヴをかますんですけど、一人暮らしの大学生、という時点で、「ちゃんとご飯食べているのかな」とか、「どんなご飯を食べているのかな」とか、「健康に気を使ってくれる人はいるのかな」とか、考えが止まらない。

まあ、ご飯に関しては、芹澤のものがたりである程度の料理ができるとのこと。やるじゃん、草太。

きっと、きっちりとした生活を送っていたんでしょう。規則正しく、健康的に、真面目に生きる。ただ単に、浮ついた彼を想像できないだけではあるんですけど。

少し天然で真面目な宗像草太。そういうところが、彼の魅力をより引き立てる、愛される所以なのかもしれません。

余談ですが、廃墟のジェットコースターで「体が椅子になじんできたぞ!」については、個人的にツボです。いや、違うやろ。今、気にするところはそこじゃないねんて、と思いました。

 

芹澤朋也に見える世界

変に茶化すつもりではないんですが、すずめの戸締まりにおいて、芹澤朋也という男の立ち位置って、水曜どうでしょうの、またしても何も知らない大泉洋と同じだな、と思いました。

いや、詳しくは水曜どうでしょうを存じ上げているわけではないんです。ネットミーム化したくらいの知識だと思ってください。でも芹澤さん、どの場面でも訳知り顔で、実際は『何も知らない』んですよ。

彼、友人の宗像草太のところに行こうとするのに、彼の家業も知らないんです。

「いいなぁ、草太」と言う割に、何も知らない。

でも、知っているから親しいのか、と言われれば、たぶん芹澤朋也と宗像草太の関係性は違う。

関係の親密性は情報量とは比例しない、ということを示すいい例だと思います。

 

宗像草太にとって芹澤朋也とは、『閉じ師』というもの抜きで付き合える友人なのだろうと思います。宗像草太のところで先述したように、宗像草太は閉じ師であることをカムアウトすることを躊躇しています。芹澤朋也との間に「家業」という枠はあっても、「閉じ師」はない。

対して、芹澤朋也にとって、宗像草太とは。堕ちていたところから引き上げてくれた存在。「お前は自分の扱いが雑すぎる」と、気に掛けてくれた。芹澤朋也は自己肯定感がとても低くて、確固たる『自分』というものがないように思います。今も、宗像草太という存在に流されているだけなのかもしれない。でも、これまでの芹澤朋也の人生を知らない人から、心配してもらえた。それだけ、でも芹澤朋也にとってはそれが衝撃だったのだと思います。

 

ただの友人。

それが、二人にとっては、どれだけかけがえがないほど尊いものなのでしょうか。

それは本人たちにしか分からないことだとは思います。でも、少なくとも芹澤朋也にとって宗像草太は、事情はよく分からないけれど、東北まで車を走らせるほどの友人なんだと、そう思います。

はーーーー、眩しいかよ。青春だよ。

勝手に言っていますが、芹澤朋也はどう頑張っても、『只人』代表なんです。言葉を変えれば、その他大勢の代表

何も見えないし、何が起こっているのかも知らない。何かがおかしいということは分かるけれど、何もできない。そんな私達の代表。

でも、いろいろな事に気付かせてくれる。

それが、「綺麗な場所だな」のシーン。

鈴芽ちゃんにとっては、昔は日常の風景であり、今は廃墟であり、封じ込めた記憶の場所。そこに『綺麗』という感想はない。

だけど、芹澤朋也にとっては初めての地で、緑が豊かで、今この状態は『綺麗』と思った。

過去はその人の物。現在は現在でしかなく、目の前に広がっているただそれだけなんだ、と強く感じたシーンです。人それぞれで見え方が違う、と改めて突きつけられた感じがしました。

少し話が逸れましたが、芹澤朋也の突き詰められた凡人感に、私はどうしようもなく愛おしさを感じてしまいました。めっちゃいいヤツなんだよ…幸せになってくれ…

 

長くなりそうなので、鈴芽ちゃん、環さんについては、また後日。

 

HELI-XⅡアンモナイトの行く末は~感想まとめ~

※これは、2021年10月頃に書いたものを、今アップしています。


今年一番の衝撃的な作品に出会いました。
コロナ禍ということもあって、本格的な演劇を観に行く機会はぐっと減って、観に行ったのはほぼほぼミュージカル。劇場で観たストレートプレイは多分、今作が今年初。もうすぐ今年も終わるのにね。
でも、そういうのを抜きにしてもインパクトが凄かった。観終わって2回目を観るまでの一週間、ずっと毎日HELI-Xのことばかりを考えているくらいには、ずっと心に残り続けました。
昨今のこの状況で、原作ありき(といったら語弊がありますが)の作品が多いこの状況下では、原作なし+ストレートプレイ+SF要素+重厚なストーリー、のこの作品は少し異質なのかもしれません。私調べなのでなんとも言えませんが。
というわけで(?)、早速各キャラの細かな感想に移りたいと思います。

ネタバレしています。むしろ、ネタバレしかありません。ネタバレをしたくない方はここでバックをお願いします。これ以降は自己責任で。
※これは私の記憶整理を主目的としているので、読みやすさには一切配慮していません。ご了承ください。


・ゼロ/玉城裕規さん
Talk Meetingの時も思いましたが、前髪ありのウルフカットのゼロはかわいい。もともと大きい玉ちゃんさんの目がさらに強調されて、お目々キュルキュルのうるうるでした。


ある意味では、今作がHELI-Xの基点となるお話なのかな、と思います。前作の方はいわゆるエピソード0(ゼロだけに、つまらないですね)という扱いなのかもしれません。キャストの皆さんもそう言っていましたしね。
アガタとカイで揺れるゼロ。パンフレットでも言っていましたが、ゼロには意思の芯となるものがない。すぐに揺れて流されてしまう。今回も、カンザキ大佐の「カイの無念を晴らしたくはないのか」という言葉で螺旋機関に入り、カイの記憶を取り戻したアガタから聞いたカイの裏切りから「この世界を滅茶苦茶にする」ためにオシリス側に付く。


自分の意思で動いているようで、実はそうじゃない。


『カイがそう思っていたから』(みんなが幸せに生きられる世界)
『カイに裏切られたから』(あの時、カイはゼロを捨てた)


それだけなんです。そこに自分の意思はなく、誰かの意見や自分の感情に流されるままに生きてしまうんですね。
でも、ゼロの生い立ちを考えると、一言で意思がない、と無碍にはできない。考える余地もなく、暗殺者として生きていくしかなかったわけだから、自分の意思で立って歩け、という方が酷というもの。だって、ゼロがTRANSしたのも、オシリスの策略とはいえ、力を得るためにTRANSするだろう、という予想通りの行動を取ってしまうほどです。


だから、行動を読まれやすい。というよりかは、そこに本人の意思といえるような意思は介在しないんだろうな、と思います。それもまた悲劇。
ふと、名前の意味を考えてみました。なんでゼロなんだろう、と。
きっと彼には『何もない』状態なんだと思います。何が?と問われると答えには詰まるのですが、あえて言うとすれば、自分、というものがない。自己紹介をして、と言われても多分ね、ゼロは何も答えられない。そういう未熟さが残っている。


前作のブログで、シデンのところで「幼い彼女がまだ足掻いている」と書いていましたが、ゼロはシデン以上に、女性だった時のゼロが消えていない。正確には、ゼロにとってはTRANSで性別が変わったことなんてほんの些事でしかない。根本はまったくかわっていないのだから。
だから、カイの記憶を取り戻したアガタに対して、カイの本心を聞くシーンでは「私」となるし、同じ姿をしているアガタに対して、どうしてもカイを重ねて見てしまう。それに、献身的なアガタの行動にゼロは容易く心が綻んでいってしまう。
本当に浮草のようだな、と思います。


いつか、ゼロが自分が『ゼロ』としての人生を歩んでいけるよう、苦難を支えていってくれる人が現れるよう、願っています。
頑張れ!アガタくん!

 

 

・アガタ・タカヨシ/菊池修司くん
本編にはあんまり関係ないんですが、修ちゃんお顔がきれい!
たまたま幸運にも最前で観劇する機会があったんですが、まーお顔がきれい!とまず思いました。あと、役に入っているときはあんなに真っ直ぐで熱くて、しっかりしているように見えるのに、素に戻った瞬間のあのほんわか空間にしてしまう天然さは本当にかわいい。ずっとそのままでいてほしい。


今回で『アガタ=カイ説』は立証されたようなものですね。身体としては「カイ」ということでしょう、きっと。心じゃなく、身体が覚えている、という感じでしょうか。
でも、アガタ=カイですんなり納得にはならないんですね、これが。絶対に毛利さんも西森さんも、なにか隠しているに違いない、と疑うのは当然でしょう???


というのも、オシリステレパス・マキシマムで全世界のHELI-Xにゼロのタイムのイメージ共有をした時、板の上にいたのはHELI-Xだったわけで、そこに光は当たっていなくてもアガタ(その時はカイだったかな)がいるんですよね。HELI-Xが板の上に移動する時は暗転しているので、もし不必要ならアガタは退場すると思うんです。でも、彼はそこに居た。ということは、何か意味があるのかな?と思うのは自然の流れじゃないですか。誠に勝手な妄想ですが。


だから、アガタも実は……、な展開を期待していたりしますが、別にそういうのがなくてもいいです。アガタはアガタで、あのちょっとウザいぐらいの真っ直ぐさで光を放っていてほしいから。その光でどうか、ゼロを救ってください、道を作ってください。
あと、ゼロも名前の話をしたので、その繋がりで。アガタを感じで当てはめると「亜型」な気もしないかな、と思っています。亜種的なアレです。純正の人間じゃない気もする。でも、全く関係ないかもしれない。でも、「あがた」で検索しても昔の管理職とか田舎とか、そういうのしか出てこないから、意味を込めるとしたらやっぱり「亜型」かな、と思わなくもない。でも、普通に縣(懸)さんっているから、深読みしすぎるのも良くないですね、はい。


今作では、アガタの真っ直ぐさが眩しかった。芯がブレッブレのゼロと対照的にブレが少ないアガタ。でも、ここまで真っ直ぐで嘘がつけないアガタだから、ゼロもアガタを気にかけるようになったのかな、と思います。


だけどね!アガタくんが好青年になるにつれてカイのクズさが際立つから、今後どうカイの株が上がっていくか(上がらないかもしれないけど)が見ものですね!!


最後、「次会うときは、どっちかが死ぬ時だ」っていうゼロの表情、劇中で唯一の笑みだったんですよね。でも全然嬉しそうじゃない。悲しそうに笑うゼロ。それを涙目で見つめて、「次は俺が救う番だ」と決意を新たにするアガタ。


もうさ~~~、この時点でいつか必ずこの2人が戦うって分かるじゃん……。しかも、ゼロの能力ってタイムじゃん?えー絶対にアガタが致命傷を負ったのをタイムで戻して自分が代わりに傷を負うゼロ、っていうところまで想像ついちゃったよ……。
願わくば、今後この2人が笑顔で幸せに生きられるような話が続きますように。

 

オシリス/平野良さん
皆さん大好きヒラリョですね!!私も大好きです!!
劇中はあんなに怖いのに、千穐楽のカテコでは誰よりも明るいの、本当に反則です。涙が全部引っ込むじゃないか笑


まずは、平野良さん自体について。
大好きです、とか言いながら、実際に平野良さんの演技をまじまじと意識して観たのはたぶん今回が初。メサイアでも観ていたんですけど、記憶力が乏しいもので……。


でも、さすがというか、貫禄が違う。声を荒らげずに場を締める、緊迫感を出す、あそこまで感情が動かないのに表情の豊かさを出す、やっていることが全部矛盾しているのに成立する芝居。うわー、と圧倒されました。そして、塩田さんがカテコで言っていたように、うん、あれは怖い。実際のヒラリョはあんな人じゃない、というのは知っていますが、あんな演技をされると怖いです。底が見えない、オシリスという役どころと見事に一致していて、ヒラリョ以上にオシリスがハマる役者は私の知る限りいないんじゃないか、と思うくらいには、圧倒されました。他のヒラリョの演技も観てみたいので、おすすめがあれば教えて下さい。調べた限りでは、「さよならソルシエ」がいいらしいですね、買います。


オシリスは、新キャラとして発表された時に名前を調べてから、絶対にこいつは味方にならない、エジプト神話の冥界の神を冠した人物が日の当たるところで生きるはずがないじゃないか、それにヒラリョだし、ということで、早々に疑ってかかっていました。でもね、最初のCHUのオシリス捜査官の人の良い感じを見て、いや、今回は味方になるか…?と思ったけど普通に予想通りでしたわ。よかったよかった(よかったのか……?)


観劇回数を重ねるごとに、オシリスは真正のサイコパスだな、と思いました。感情の揺れがほとんどないし、言葉の表面しか捉えていない発言が目立つんですよね。例えば、ゼロがオシリスに対して「お前がカイを殺した!」と言うのに対して「私は殺していない」と答えるシーンがあります。いや、言葉尻だけ捉えるとそうだけど、そうじゃないねんて!!と思いましたし、実際ゼロも「お前が殺したようなもんだろ!」と言っているので、ですよね~、という感じでしかないです。


他にも多々こういう『情緒』というものがないシーンが多いオシリスですが、彼のHELI-X能力はテレパスとリザレクションの2つ。どういう経緯で2つを持つようになったのかは明かされてはいないので、今後明かされるのでしょう。ですが、どちらもトラウマに起因する能力だとしたら、オシリスの過去が悲しいものに感じられます。
まずは「テレパス」について。前述したように、オシリスには情緒というものが見受けられません。そういう彼が相手の心を読める能力であったり、洗脳できる「テレパス」という能力を持つ。それが意味することとは。


すべて勝手な妄想です。妄想ですが、HELI-Xの能力はトラウマに起因する、ということはですよ、オシリスの過去には人の心を察することができなくて負った深い傷がある、ということ、になりますよね。
うわー、地獄じゃないですか。そういう過去がありながら、現在のオシリスは情緒がなく感じる。もしかしたらそれは、敢えて素の自分で居るようにしているのかもしれません。ね、哀しいね。
それに、2つ目の能力の「リザレクション」。これもトラウマに起因する、と考えると、過去にオシリスの心に深く残るほどの人物が亡くなった、ということでしょう。
あの、人が死んでも表情が変わらないオシリスの心に残るほどの人物って誰でしょうねぇ、闇が深すぎて楽しいです。オラ、ワクワクしてきたぞ。


ここからはさらなる仮定です。この2つの能力、個別のトラウマかもしれませんが、もしかしたら1つの出来事に由来しているとしたら。
例えば、オシリスが大切に思っていた人物がいたが、オシリスはその人物の心を察することができず、それが切掛けとなってその人物は死んでしまった。とか。
リザレクションの有効範囲がどこまでかは分かりませんが、たぶん自分には行使できない能力でしょう。他人を生き返らせることしかできない、としたら。あのオシリスが、ですよ。自分ではなく他人を生き返らせる能力を得るほどのトラウマを持っている。
ますますオシリスの過去が知りたくなります。


そして、感情を昂ぶらせて喚き散らすオシリスが見たい、人間味のあるオシリスが見たいです。

 

イモータル/杉江大志さん
正直に告白します。
今作で完全に杉江大志に落ちました。推しになりました。ありがとうございます。
なんで杉江くんってあんなにも背後が仄暗い役が似合うのかな!重い過去を背負いながら根っからの明るさを振りまくキャラクターを演らせるとピカイチだと思います。


私がメサイアの亡霊でもあるので、加々美いつきと比較してしまいますが、ちょっとお調子者、軽い奴というのは一緒ですけれど、軽いのジャンルが違う。それだけ杉江くん自身もたくさんの役を演じてきた経験があるのだろうし、軽い・明るいに幅を持たせることができるのは一つの才だと思います。


私は普段、別のシリーズ(TRUMPシリーズ)に生息しているオタクでもあるので、どうしても「不老不死」というもの対して、非常に敏感です。ぜひ、TRUMPシリーズは観ていただきたいのですが、その話はまた別の機会にでも。


不老不死。老いもしないし死にもしない。HELI-Xのような戦闘メインの世界観であれば、それはとても有用な能力でしょう。ですが、裏を返せば「死にたくても死ねない」ということになります。


死を美化するわけではないです。ですが、死は一種の救いだと思っています。
終りがある。限りがある。だからこそ、生命はより輝きを増し、美しく光を放つ。
詩的な表現ですが、そう思うのです。永遠というのは、非常に怖い。終りが見えないということは、解放されないと同義だと思いませんか?


イモータルはずっと縛られている。死」という概念に囚われている。劇中に何度も何度も「死なないんだけどね!」と繰り返すのは、それだけ「不死」というものがイモータルにとって大きな影を落としている証左だと思うんですよね。だからこそ、その反動であんなにも自由なキャラクターとなっている気がします。せめて、自分が表現できる範囲では自由にする。こう考えると、HELI-XⅡで唯一の清涼剤だと思っていたイモータルが一気にしんどくなりますね!楽しい!キャッキャッ


HELI-X内では最高齢、多くの経験をしてきているイモータルだからこそ、軽いながらも後ろでどっしりと構えている安定感がありました。年齢も経験値も上の役者さんを押さえて、「イモータル」だからこそ出せる成熟した軽さ、敢えて出している軽さが見えているのが個人的にすごく好きなポイントです。


イモータル、螺旋機関に入ることにはなりましたけど、今後どういう関係性となっていくんでしょうか。彼のことだから、裏切ることはないと思います。きっと。
オシリスとの決着、そして自分自身の能力との決着がいつか着くのでしょうか。
彼の願いが叶えられ、救われんことを。

 

……ここまで書いてはいたのです。でも、途中で力尽きてしまい、気付いたらHELI-XⅢが始まってました。

Ⅲのブログも上げたいけれど、ということで、供養としてまずはこれを上げます。

いずれ書き足すかもしれない。Ⅲにまとめて書くかもしれない(多分そうなる…)。

また、いずれ。

推しと出会って5年目になります。今日も私は生きています。

忘れもしない、2017年4月23日。
この日が私の運命を大きく変えた1日になるとは、その時は思いもしませんでした。

 

 

気が付けば、推しの荒木宏文と出会って、丸4年が経過、5年目に入ろうとしています。
荒木さんの長い芸歴の中で5年というのは、結構新規の部類に入るのだろうな、と未だに思いますし、現にそうだと思います。知っていたことは以前から知っていたのですが、あの時はまさかここまで好きになるとは思ってもみなかったので、人生何が起こるか分からないものです。

そして、俳優の推しは荒木さんですが、コンテンツとしての推しがミュージカル刀剣乱舞(刀ミュ)です。ゲームの刀剣乱舞自体は、サービス開始当初、3月のサーバー増設組なので、6周年?になるんですかね…?やってない時期もあるのんびりユーザーです。

刀ミュと荒木さんと出会って、5年目になろうとしています。
今から5年前の自分に今の自分の現状を伝えたら、どう思うだろう。そういう思いで自分の気持ちの整理のために、書き起こしてみました。

 

 


すべての始まり


5年前の私は、自分で言うのもあれですが、めちゃくちゃ病んでました。
当時、大学院生でボスのパワハラと研究と仕事と専門分野に関わる雑務でオーバーワークだったな、と思います。
10時頃に大学に行き、集中できないままにひたすら研究を続ける。気付けば夜。深夜になって片道5kmの田舎道を自転車で帰りたくないから朝まで研究室で過ごして、夜明けとともに家に帰ってお風呂と仮眠。そしてまた昼前までに大学に行く。
仕事がある日は働き、仕事終わりにはまた大学に行って臨床研究をして。今日は研究が進んでないからやらなきゃ、と夜明けまで研究を進める日々。
休日は研究を進めないといけないという思いがありつつも、動く気力もなく下手したら丸2日間、飲まず食わずでベッドで横になっている。
月曜日にはゼミがあるからそれまでに資料も作らないといけないし、となんとか胃に食べ物を押し込み、資料を作って。でもきっとゼミの時に怒られるんだろうな、とどこか絶望しながら毎日を過ごしていました。
最初から暗い話を飛ばしてすみません。
でも、当時の私は駅のホームに立っているだけで、「飛び込めば楽になれるのかな」とごくごく自然に思うくらいには、いろいろなことに追い詰められていました。

楽しみも何もなかった。
これまで楽しめていたものが、まったく何も楽しく感じなくなっていた。
それに対しても、何も思わない自分がいました。

本当に何かの偶然で、チケットサイトを開いていた時に、目に映ったのが、『ミュージカル刀剣乱舞 三百年の子守唄』の文字。本公演ではなく、ライブビューイングのチケットの一般発売の文字でした。
正直、当時の私は全然刀ミュには興味がなく、むしろ第二部のライブ形式にはなんかモヤッと感を抱いている側の人間でした。だから、良い評判を聞いても、刀ミュは観に行かないかな、と思っていたほどです。
でも、なぜかその時は、「ちょうどその日は休みの日だし、映画館も近いし、行ってみるか」という気になったんです。なぜかはよく思い出せないんですけど、きっと好きなにっかり青江が出ていたからなんだとは思うんですけど。
そして、なんとなくの気持ちで観に行ったみほとせ。
衝撃を受けました。
え、めっちゃ面白いし、感動したんだけど、と。
持って行ったハンカチがべしょべしょになるくらい泣きました。
しかも、それはまだ第一部の話でして。
もともと、舞台は好きだったので、大学生の時はちょこちょこ観に行ってました。年3回とかそれくらいの頻度で。今は多い時は年20回くらいですね()。
そして、第二部のライブ。
なんで今まで嫌悪していたのか、と思うくらい楽しかった。知っているキャラクターが、予想を裏切らない動きで、でも知らない一面を見せつつもキラキラと輝いている姿に感動しました。
なんて世界は輝いているんだろう、と。私が知らないだけで、世界はもっと楽しいんじゃないか、と思えるほどに、楽しい時間でした。
(しかもその時の曲がどんうぉりですよ、泣きますよね)
舞台上の刀剣男士は、最後まで刀剣男士のままで、カテコの挨拶もそれぞれが言いそうなことで。
よく覚えているのが、蜻蛉切さんの「私はいつでもここ(心)に」の一言。
一人じゃない、って思えました。明らかな味方じゃないかもしれないけれど、私一人でいるわけじゃない、と。
初めて刀ミュを見たのに、めちゃくちゃ泣いたのを覚えています。

で、ここまで読んで荒木さんが出て来ないじゃないか、って?
大丈夫、私もそう思った。
まあ、spiさんはspiさんで色々エピソードがあるから、それはまた今度。

 

荒木宏文さんが推しになるまで

 

荒木さんに関しては、最初は私も「怖いお兄さん」という認識でした。
だって~、あの時の髪色金髪?緑?だよ???しかも、今まで好きになったことのないタイプだったし~。
でも、とてもにっかり青江が良かった。にっかり青江がそこにいた。
だから、SNS、ブログ、全部チェックした。
そしたら、気付いたら好きになってた。
荒木さんって、言葉数は多い方ではないし、ストイックな方だから自分に対して厳しいことを言っていることが多いんですね。それがキツく感じた一因だったんですけど、すごく私にとっては彼の言葉はすんなりと入ってくるものでした。
ひたむきに前を向いて進む姿が眩しかった。そして憧れた。
私も、荒木さんのようになりたい、と思ったのが推しの始まりだったように思います。
荒木さんという、私の人生において何を差し置いても憧れる好きな人ができて、少しずつメンタルが回復していきました。
私を取り巻く周囲の状況は変わらなかったですけど、推しがいるだけでどんなに辛いことがあっても前を向けました。
その時の一つの目標が、

『絶対に荒木さんの出演している舞台を観に行くこと』
そして、『刀ミュを観に行くこと』でした。
どうやったら楽になれるかばかりを考えていたどん底から、一歩一歩、未来に向かって生きる気力を与えてくれたのが、荒木さんであり、刀ミュなんです。
まあ、そこからはなんとか頑張って修士を終えて。
さて。次に待ち構えているのは就職です。

 

結論から言うと、売り手市場の職業のはずで、たいてい1~2個受ければ必ず内定をもらえる専門職のはずなんですけど。
私、いくつも受けて、全落ちしました。
お祈りメールならぬ、お祈り文書が届くわけですよ。
途中からは笑いましたね。私はこの専門職で働くなっていうことかな、と思ったりして。
だから、就職先が決まらなかったので、半年くらいプータローしてました。

まあ、それだとやばいと思って就活はずっと継続していたんですけど、ある時ふと、
「地元を出たら、荒木さん出演の舞台も観に行きやすくなるんじゃない?」
と思い、地元を出ることを決意。
すると、あれよあれよという間に、就職先が見つかり、そして今ここへ、という感じになります。
めちゃくちゃ端折った感がありますけど、本当に地元を出ることを決めてから就職先が決まるまで1か月かかってないんですよね……。縁ってやつは怖い。

History Ep.3の握手会で、
「荒木さんと出会って人生が変わりました。今ここにいるのも、生きているのも、荒木さんがいたからです」
と伝えた激重女なんですけど、私の人生の岐路で道を示してくれたのは荒木さんなんですよね……。だから、激重メンヘラの発言ですけど、あながち嘘じゃないんですよ、これが。
それくらい、私の人生に大きな影響を与えてくれた存在なんです。
ただの好きじゃない。
たぶん、これからの人生で、荒木さん以上に好きになる人なんて現れないと思う、と言えるほど、私にとっては尊敬して、憧れてやまなくて、そして大好きな人。
現在進行形で、生きる力を貰っています。
仕事で頑張れない時。仕事が辛い時。仕事の内容が嫌な時。
……ほぼほぼ仕事関連ですね。
しんどいなぁ、と思うときに、荒木さんも私たちにいいものを届けようと頑張っているんだ、と思うと、もう少し頑張ってみるか、と頑張れる。

荒木さんのファンとして、胸を張れる人間でいたい。
今は、それが目標です。荒木さんのように生きるのは、並大抵のことではないですけど。少しでも近づけるように、推しに合わす顔がない、と思うような人生は送りたくない、と日々を過ごせているのは幸運だな、と思います。

推しへの感情を書き連ねていたら、何が書きたいのか見失ってしまいました(笑)

 

ミュージカル刀剣乱舞との出会い

 

そして、刀ミュ。
刀ミュにはだいぶお世話になりましたし、めちゃくちゃ(いい意味で)人生を狂わされました。
いつか、なにかのインタビューで、でじたろうさんだったかな?言っていたのが、刀剣乱舞は頑張っている女性を応援するコンテンツにしたい(ニュアンス)」というもの(詳細分かる方は教えて下さい)
めちゃくちゃに応援されています。
頑張っても、まだ頑張っている人がいるからまだまだだ、と思って負のループに陥ったことも多々あります。それこそ、大学院生の時とか、ずっと頑張らないとと思っていました。
でも、頑張っているんだよ、お疲れ様、と、本当は言ってほしかった言葉をかけてくれたのが刀剣乱舞・刀ミュでした。
2018年の真剣乱舞祭は泣きました。今剣の

「僕たちが見えないところでも頑張っている主様に、誉ポンッ」

で大泣きです。
彼らは私のことを知らないです。私に当ててではなく、そこにいる大勢の審神者に向けて言った一言です。分かってます。
でも、その一瞬でも、こちら側に心を傾けてくれたことに、とても救われました。
もしかしたら、その公演自体も観客側のことを思って作り上げてくれたのだと思うと、すごく嬉しくなりました。
観客側のことを考えなくても、良い舞台は作れると思います。でも、そこに心を寄せてくれた。
それがすごく嬉しかった。
そもそもの刀ミュの「神とは」という考え方が好きなのもあるんですけど、刀ミュについていこうと思ったのはそれが切っ掛けです。

 

私をどん底から掬い上げてくれた荒木さん、刀ミュ。
わがままですが、このような状況下でも折れないでほしいです。
一度は助けてもらったから、今度は私が何かできないか、と考える5年目の始まりの今日。
末永く、続きますようにと祈りを込めて。

絶望を経験した人間は強くなるーHELI-X感想雑記ー

とても最高で、楽しい舞台でした。今年観た舞台はどれも最高だったのですが、その中でも今年の観劇納めにふさわしいな、と思っています。

あのねえ、頭がこんがらがる。名前・性別・性転換・所属・能力……情報量多すぎだね笑

1回の観劇ではなかなか処理しきれない情報量だな、って思います。でも、これくらい怒涛の情報量を流し込まれるのも、これまた気持ちがいい。うわー、家に帰ってちゃんと嚥下しようー!って気になる。楽しい。

※ネタバレ満載なので、まだ観ていない方、ネタバレを知りたくない方はご注意ください。ネタバレには一切配慮していません。

※これはメサイアの亡霊が書いているので、ところどころだけではなく全体的にメサイアと絡めた感想になると思います。できるだけ自重はします。

 

 

・西森英行さん、毛利亘宏さんのタッグ、そしてHELI-Xというものへの感想


個人的にですが、西森さんの演出が好きです。それは何もメサイアに限った話ではなく、舞台を観るという点ではとてもストレートで淀みがないし、ストーリーを上手く流す演出で不要に疲れない。

モーニング娘。とも何度かお仕事してた時も、彼女たちへの接し方に愛があったし、舞台幅を全部使うのは好きです。役者さん大変そうだな、って思うけど。

私はこの2人が作り出す雰囲気や空間が好きなので、HELI-Xという完全に新しいものに対しても不安はなかったです。きっと、良いものを、私の感性に合うだろうものを作ってくれるだろう、と妙な確信がありました。

まさにその通りで、第1作だからこその荒削り感、情報詰め込みや怒涛の展開はありますが、それが顕著というほどでもない(はず……)

伏線を尽く撒き散らして回収していく妙は最高でしたね。

うわー、最高、と思ったシーンは、ゼロがCRYの能力によって「正しい記憶」を思い出したシーンと、ゼロの能力で三年前に戻って「正しい記憶」に繋がる前の部分から見たシーンですね。同じ言葉なのに、内包している意味が全く、180度違う。鳥肌が立ちました。実際にカイがどういう思いで言ったのかまでは分かりませんが、ゼロの視点からすれば裏切られた、と取ってもおかしくないです。くそ、上手いな、とオタク特有のキレ芸を心の中でするほど、あー最高、となってシーンです。

彼らの創造する話はどこまでも暗く重いものが付きまといます。それが今作は結構観客に伝わりやすいテーマだからこそ、メサイアの時よりも、よりデリケートで繊細、そして身近なものになっていると思います。でも、絶望だけではありません。必ず希望を残している。向かう先は希望。それがどんなに辛く遠くのものであっても、西森・毛利のタッグは必ずどんな形であれ希望を示しているのが救いです。(誠に勝手ながら夜明けの腐女子と同じスタイルだな、と思ってます。私も夜明けの腐女子の属性だから感性が合うのかも、と思っています。妄想です)

今作は本当に思い切ったテーマに踏み込んだな、と最初は思いましたし、これ、忌避感がある人もいるんじゃないか、人を選ぶ作品になるんじゃないかと思いました。

主なターゲット層が女性、それもたぶん20-40代辺りの客層が多いんじゃなかったかな、と思います。きっと、少なくとも1度は生まれ持った性に対しての嫌悪や絶望…まではいかなくても不甲斐なさを感じたことがあるんじゃないですかね。そこにどう響くか、いろいろな人の感想を聞いてみたいです。

そして、TRANSによって性別を些事としたことで、より性別がくっきりと浮かび上がるのは皮肉だな、と思います。

体の性が変われば心の性も変わるのか、では社会的な性は?肉欲的な性は?
今回はそこまで表現されていなかったけれど、SADNESSやANGER、そしてCRYの救いは何なのか、今後彼らは何を依り代に、何に救いを求めていくのか、と思うとシリーズめっちゃ続いてほしいです。いや、きっと続けるつもりでしょう。

小説もざっと読んで、正直、嫌悪感でゾワっとしたシーンがありました。でも、だからといって忌避することはないですし、それがないと物語として浅くなってしまう。

彼らが言うようにエンターテイメントとしても楽しめ、そして何かを考える材料となる舞台だったと思います。

 

・ゼロ、玉ちゃん(玉城裕規さん)について

おいおい、西森、毛利よぉ。あんたら玉ちゃんにいつもいつも重い運命を背負わせるんじゃねえよ。

と私の中の誰かが言っています。

メサイアの周康哉といいゼロといい……、玉ちゃんは世界に絶望しないといけない役をする運命にあるの???大丈夫???と思いました。

今まで、色々な媒体で玉ちゃんを観てきました。観てきた数ならかなりですが、実際に舞台で観るのは初めてでした。

彼の憑依型の演技、すごく好きです。実際どういう役作りをしているのかは知らないけど、計算された憑依ではなく降臨型というか、感覚で演じている感じがします。彼の演技には違和感がない。どれも玉城裕規だと分かるけれど、同一じゃない。今回のゼロ

そんな感じでした。

今回はすごく難しい役どころだっただろうな、と思います。

ゼロは好き好んでTRANSしたわけじゃなく、彼女の生きる道にはその選択しか残されてなかった。

『力が欲しい』その思いで男性となった。

その時点で、うわーめっちゃしんどい!ってなったのに、終盤でBLOODをアガタに殺された時に、今の性別のゼロの口調ではなく、過去のゼロの口調に戻って生きる意味を問い続ける姿はすごく切なかった。

復讐に囚われて生きてきたのに、その記憶も感情も全て嘘だと言われ、そしてやっと見つけた復讐相手も自分で手に掛けることは叶わず。今回の不幸の煮凝り=ゼロじゃん。
殺すことしかできない、それしか世界に価値のない自分がこの世界を愛おしいと思えるきっかけとなった宝物のカイ。人を愛し、そして愛される喜びを知って、幸せを知ったからこそ、その後の世界が以前よりも絶望の色に染まってしまう。なんと残酷なことか。

作中にはアンドロギュヌスという単語、そして『失った半身を求める』という言葉が出てきます。ゼロは半身を失い、そしてTRANSによって自身をある意味での両性具有のような状態になった。でも彼は完全になったかといえばそうではなく、ずっと何かが欠けているアンバランスさを内包しているんですね。だから非常に危うい。何度か脳裏に周康哉が過ぎっていました。ゼロは幸せになってよ~~~。

最後、アガタのバディとして螺旋機関に加入することになりましたね。これからまた新たなゼロの物語が始まるのか、と思うと、もしかしてこれはHELI-Xエピソード0なのかな、と思ってゾワッと鳥肌が立ちました。たぶん違うけど。

でも、新たな物語の幕開けに立ち会えて幸せです。

 

 

・アガタ タカヨシ、菊池修司くんについて

菊池修司くんは二度目ましてだったかな。

前に見たのがラスール・ミハイロヴィッチ・カレージンだったので、どうしてもあの飄々とした喰えない奴というイメージがありましたが、全然そんなことはない。

菊池くんは上手い。いや、皆さん上手いんですけど、なんていうかな。今回カイとの二役で、ちゃんとカイと声音も表情も、佇まいも全て変えているところに感心しました。

役者だからできて当たり前かもしれないですけど、それでも「生き写し」と言われた部分を残しながらも全く別人を演じる、しかもごく短時間での切り替えは観ていてノンストレスでした。そして、早着替え多くて大変そうだったね。覚えているだけでも3-4回なかった?

アガタは真っ直ぐな青年。正義感が強い青年。だからこそ、たぶん誰かを無意識に傷つけてしまう人間

とても珍しいほどの真っ当な、正直で素直な人物だと思いました。

市民を守るため、という真っ直ぐな理由で大和自治軍に入り、権力・我欲に塗れた内部に現実を知り辞めようとする。なんと素直なのか、と書いていて思いました。

きっとアガタは世間一般的には順調で何不自由なく育ってきたんだろう、という背景を彷彿とさせます。まあ、これはただの予想ですし、なんなら私個人的な予想ではアガタ=カイ説を推していきたい所存なので、品行方正な優等生キャラは後で植え付けられたものだと思っています。根拠?そんなものありません。あるとすれば、アガタのプロフィールを閲覧しようとしたときにウイルスがー、となり詳細が分からなかった、というところですかね。

物語の主人公の一人だというのに、ゼロと比べて詳細なプロフィールが全く見えない、そしてカイと瓜二つの容姿、さらにゼロに対する献身とさえ取れるほどの興味。

きっと裏があるに違いありませんから、続編をお願いします。

まあ余談は置いておきまして。

世間では普通に分類されるアガタが、HELI-X集団の螺旋機関の中では異分子とされるのはおもしろい対比でした。彼らは一癖も二癖もあるし、その中でどう関係をこれから築いていくのか、そしてゼロのバディとして彼とどんな希望を見つけていくのか、今後が楽しみです。

作中ではゼロとアガタで初めてバディという言葉が使われました。それはきっと意味があるんだと思います。それこそ、冒頭でずっと言われていたアンドロギュヌスのように、彼らは二人で一つの完全体なのかもしれないですね。

(二人で一つ、といえば白崎護と悠里淮斗を思い出します……僕たちは二人で一つの壊れやすい卵だ……うっ、頭が……)

 

・CRY、宇野結也さんについて

CRYは謎が深すぎて、どうまとめよう…と悩んでしまいました。

人類初のHELI-Xで、両性具有で、「正しい扉(真実の扉?)」というキーワードを何度も言う。

情報盛り盛りじゃんね。ということで、気になる点をば。
・性別

元の性別はなんだろうね。女性かな、男性かな。どっちでも良いだろうけど、なんとなく気になるし、なんでTRANSしたのかも気になる。

HELI-Xになったから暗殺者に身を落としたのか、そもそもそういう環境で生まれ育ったのか。全然見えないからこそ、興味を引かれます。今後明かされるのかなぁ……。

・感情

どうタイトル付けしようか分からなかったので。CRYの感情についてです。

最初、CRYは無感情な殺戮マシーンのようだと思っていましたが、ゼロとの再邂逅から徐々に感情が振れていく様が見えて、彼(便宜上、彼とします)も人間なんだと感じられました。ゼロを思う姿は大切な人を見るようで、CRYにとってゼロは大切な友人で、もしかしたらそれ以上かもしれないし、そしてゼロが狂気に身を窶していくのは見るに耐えなかったのではないかと思います。

だからこそ、真実を思い起こさせようとしたのかな、と。

彼も人間で、性別も曖昧、HELI-Xだけれども人間で。感情も喜怒哀楽もしっかりとある普通の人間なんだと、なんだか妙に納得しました。

あと、これはCRYだけの話じゃないんだけど、BLACK BLOODの構成員の名前が、CRY、SADNESS、ANGERと感情の名前になっているんだよね。しかも負の感情にまつわるもの。でも、CRYだけ「泣き叫ぶ」という動作の名詞系(たぶん、動詞かもしれないけど)なのにはなにか理由があるのかな、ってちょっと引っかかってる。

 SADNESSは「悲しみ」

 ANGERは「怒り」

この二つだと、感情の他にも七つの大罪にも絡むのかなーって思います。でも、一番有名な七つの大罪だと、悲しみ(悲哀)は怠惰に含まれることになるからどうなんだろう、と思ったりもします。それに「怒り」は「憤怒」でWrathだからANGERじゃないしね。

今後も新キャラとして出てくるのか(リュウジンが新たな名前とかね)、それともこれ以上増えないのか、今考えても仕方がないことですけど、ちょっと気になる部分だから、そこを明かすためにも続編をお願いします。

 

リュウジン、輝馬について

あのね、めちゃくちゃ個人的でどうでもいい話なんですけど、今年観劇した舞台が六本あったんです。そのうちの三作に輝馬がいて(狙ったわけではない)、さらに今年の観劇初めが『カレイドスコープ』で輝馬出演、観劇納めが『HELI-X』で輝馬出演って、すごいね?

それに、地味に去年からずっとそうなのよ。観に行きたいなーと思う舞台には50%の確率で輝馬がいる。最推しの俳優よりも…は言い過ぎかもしれないけれど、たぶん同率で観てるから、もうこれは好きになるほかないなって。ただでさえ輝馬を意識してない時から輝馬を観てきてたことを最近知って、なんならデビューから観てるのを知ってしまい、笑った。

輝馬、好きです。そういう引き合わせがなくても、彼の演技や所作はすとん、と心にジャストフィットする心地よい感覚があって好きです。

リュウジンはね、明るくて姉御だな、って思いました。でも、浮草というか、その場に未練はなさそうで、子どもという守るべき者が無事であればいい、というどことない投げやりな印象も受けます。

リュウジンは螺旋機関を「こんな居心地のいい場所」と言っていました。彼はギャンブルが好きで、元犯罪者で、外の世界では追われる身だし居場所がない。能力も自由に使えない。となると、ある程度の範囲内で自由に暴れられる螺旋機関を『居心地いい』と表現するのもさもありなん、と思います。

でも、物語の最後、彼は新生BLACK BLOODの下にいます。「アタシの命はアンタのもんだ」(一人称やセリフは不確か)と、螺旋機関への未練もないような態度で。リュウジンにとっては別に信念を持って螺旋機関に居たわけではなく、そこが「都合のいい場所」だったから居た、という感じなのかな、と思います。

だから、BLACK BLOODでもHELI-Xとしての自分を受け入れる場所であれば抵抗することなく入る、ということなのかもしれない、と考えてしまいます。

実は螺旋機関に思い入れがあって…というのでも面白いですし、今後のキーマンになりそうな気がします。でも、私の勘が囁くんですよ、多分リュウジンは死ぬって。そんな気がします。

ここからは完全に私のクソデカ感情なんですけど、私メサイアではボスホートの生き様が好きでその中でも最後までボスホートに居たガラにも特別な感情を抱いているフシがあるんですよね、推しはサリュートだけど。黎明ノ刻でガラは「俺にもし子どもができたら」というシーンがあるんです。ガラって絶対に結婚できるタイプじゃないし子どもを抱くガラなんて想像できますか?私はできないんですけど、ほら、オタクって好きなキャラにはとことん甘いじゃないですか。だからガラが結婚して家庭を設ける妄想をしちゃったんですよね。

だから、今回のリュウジンはある意味でのアンサーなのかな、って思ってしまってメタい意味でジーンとしてました。キャストが一緒だからってすべて一緒にしたらいけないね、分かってる。でもね、リュウジンは結婚して子どもがいて、その子はきっとTRANSした後もリュウジンの大切な存在で、その子を守るためのTRANSでもあったのかな、と思ったりもします。

リュウジン、TRANSしても元のスタンスとなんら変わりなさそうなところに、TRANSに対する意味を感じます。「力が欲しい」そのためにTRANSをして旦那を殺した。小説にもありましたが、魂とその器、と解釈すると、正にリュウジンは「器」のみを変えただけ、ということになりますね。その他のキャラが器に合わせて口調やらなんやらが変わっている(であろう)ことに対して、リュウジン(とSADNESS)の変わらなさがまた興味深い。

TRANSに何を求めたのか、と考えるだけで旨い酒が飲めそうです。

私も輝馬同様、リュウジンと酒が飲みたい。

今後のリュウジンが気になるので続編をお願いします。

 

・シデン、後藤大さんについて

たぶん作中屈指のいい人だと思います。

彼の能力は「Psychometry」。ちょっと途中でその設定をど忘れしてたので、勝手に「人の心を読む系かな?」とか思ってました。当たらずも遠からずってところですね。
今後は彼の掘り下げがあるのか見てみたいです。そして、シデンの場合は小説を読まなければ見えてこないものの方が大きい気がします。

どのシーンだったか、螺旋機関のメンツがセット上に座るとき、シデンは両膝を揃えて脚を下ろすんですね。その仕草に、ああ、と言葉では表現し難い感覚がありました。そして小説のシデンの話を読んで腑に落ちました。

年齢はいくつか分からないですけど、やはりシデン「も」器だけ変わったタイプのHELI-Xだなと感じました。彼の中にはまだ彼女だった時の幼いシデンがいて、まだ足掻いている途中なんだろうな、と思います。

シデンはシデンで変わらないのですが、そんな彼が変わろうとするきっかけとなったのが、ワカクサの存在。元々自己同一性が弱かったシデンは、強く生きるワカクサの姿が『同性として』とても強く惹かれたのではないかと思います。愛とか恋ではなく、謂わば憧憬、憧れ

シデンがTRANSした理由は『力が欲しかった』から。そこはリュウジンと変わらない。後述するシュンスイも含め、力を得るために性別を変えるという選択肢しか残されなかったというのは、悲しみを感じます。だからこそ、アガタの「生まれ持った運命を受け入れるべき」という意見はリュウジンに「ガチガチの差別主義者」と言われるほど、強者の思考なんだと改めて感じました。

TRANSしてHELI-Xとなったシデンが、螺旋機関に入って何か生きる希望を得られたのであれば、それに意味はあったと思うのでぜひ、シデンを幸せにするためにも続編をお願いします。

 

・ワカクサ、立道梨緖奈さんについて

めえええっちゃくちゃ美人ですね!?!?!?

お美しすぎます、立道さん。衣装も最高でした。網タイツ。あんなに綺麗に履きこなせていて、ちょっとそこを見ていました。すみません。

拳銃と短剣の戦闘スタイルも、HELI-Xの能力も「Nightmare」なんて、すべてがかっこよすぎる。お姉さんと呼ばせてください。

シデンを作中屈指のいい人、と言いましたが、ワカクサは作中屈指の常識人のような気がします。

気が短そうで口よりも先に手が出そうに見えるけど、一歩引いて周囲の仲間をまとめるお姉さんでした。リュウジンもまとめ役ですが、先述した通り、リュウジンには独特の軽薄さがあるので、芯のある強さはワカクサの一人勝ちだと思っています。

ワカクサの詳細についてはまだほとんど開示されていない状態なので、何とでも書けるし、逆に言えば何も書けない。シデンの小説の話の中で、「結婚して子どもがいた」「子どもを生みたかったからTRANSした」「夫と子どもは死んでいる」という情報はありましたね。

でも、TRANSして幸せそうだったワカクサがどうして螺旋機関にいるのか、TRANSして子どもを欲しがった理由はなにか、と考え出すと、ワカクサの生きてきた道、螺旋機関にいる意味、今後歩む先が気になりすぎるので、ぜひ続編をお願いします。

作中の姉御はリュウジンとワカクサの二人だと勝手に思っているんですけど、姉御の種類が違うのがまた、なんというか、もどかしさがあるんです。

あまり男性的、女性的という言葉を使うのは好きではないんですけど、ワカクサは男性的な雰囲気で自らあまり干渉しない様子で、対するリュウジンは関わりを自ら持って引っ張っていく女性的な雰囲気を感じます。そこも役作りで見えてきたところ、もしくは見せたかった部分なのか、ちょっと気になります。

ワカクサの過去が気になりすぎますし、ワカクサとシデンの関係性の変化も気になります。

 

・シュンスイ、松田昇大くんについて

ビジュアルに関して言えば、もうダントツで好きです。

にへらと笑った顔!細い体躯!ピンク髪!好きになるほかないじゃないですか!

それに、使用武器が拳銃も使いつつ短剣を二つ使っていた場面もあったと思うんですけど、腰に横向きに収めるホルスターみたいなのがあって、それに気付いたときは身悶えました。ああいうタイプの武器というか武具?好きなんですよ。

ちょっと戦闘狂のような雰囲気も感じられて、シュンスイの明るさが救いだったな、と観終わって思います。

シュンスイは元凄腕の料理人とのことで。そういう設定は一切登場しなかったけれど、小説でチラッと料理をするシュンスイの姿がありましたね。彼は本当に料理が好きなんだろうな、と思います。それこそ人を殺すよりも。

自分の力を正当に評価されない世界で、「評価されるために」TRANSしたシュンスイは、リュウジンとシデンとは少し違うけれど、広義での「力を得る」ためのTRANSだったのだな、と思います。

これまたワカクサ同様、過去や詳細が一切公開されていないですけど、シュンスイはどういった経緯で螺旋機関に入ることになったのか、螺旋機関にいる意味は何なのか、と考えると、やっぱり続編が欲しいですね。お願いします。

シュンスイの見せ場(というか、松田昇大くんの見せ場)といえば、そうです、SADNESSと入れ替わるゲームのシーンです。あそこね、実は全然まだよく噛み砕けていないんですよ。漠然とANGERだけが無傷だと分かっているんですけど、誰が?誰を?ともうゴチャゴチャしているので、またよく考えます。

一瞬のキャラの切り替え、そのときにシュンスイからSADNESSの視線に変わるのは素晴らしかったです。本当に妖艶になるんです。中身が入れ替わったようでした。だからこそ、混乱しやすかったのかもしれないですね。

観劇した後、ふとシュンスイはどんな料理をするのかな、と思いました。

そして、その料理を誰かに食べてもらうのかな、とも思ったんです。

そうしたら、螺旋機関のメンバーがアガタの加入をだしに騒ぐ光景が目に浮かんだんです。そこでシュンスイは料理を作って出していて、リュウジンはお酒を飲みながらアガタに絡んでる。シデンはワカクサの近くにいて、ワカクサはアガタに絡むリュウジンに便乗している。

そんな幸せな光景が目に浮かんでしまいました。泣きそうでした。

シュンスイの料理を美味しい、と言って食べてくれる人がいることを切に願います。

 

・ANGER、塩田康平さんについて

ANGERでまず言及したいのが衣装。布たっぷりのスカートが殺陣のときにぶわっと広がるのが観ていてとても綺麗でした。塩田さんは運動神経めちゃ良いの知ってるから、殺陣がすごく綺麗でした。流れるようで、衣装の広がりも計算しているかのような、漫画を見ている気分になりました。本当にANGERの衣装が素敵なので、ぜひそこに注目して観てほしいです。

そして武器。最初はハンマーかと思いましたが、複合型でしたね。ハンマーでもあるし、銃にもなる。そして剣でもある。ある意味、作中最強の武器ですよ、あれ。ああいうところに中二心がくすぐられます。

武器については、さまざまなバリエーションが出たのは新鮮でした。メサイアでは銃か短剣。そりゃあ現代社会を元にしている作品でぶっ飛んだ武器を出すわけにもいかないからそうなりますよね。だから殺陣も銃をメインにした肉弾戦が多かったですが、今作は武器の登場があり、剣を使った殺陣が多く観られて嬉しかったです。ろっぽんさんの殺陣、好きなんですよ。殺陣を存分に堪能できて満足です。

ANGERはSADNESSへの矢印が強すぎて、ANGER自身の意志が見えないのが気になります。能力を使えるということはTRANSしたということでしょうし、塩田さんを起用したということはANGERは現男性なんだろうとは思います。けれど、公式Twitterでもパンフレットでもそこに触れていないのが怖いです。実はTRANSしていなくて能力が使えるとか、実は現女性だとか、実は……の可能性をいろいろ考えてしまいます。気になるので、これはぜひ続編をするしかないですね、よろしくお願いします。

SADNESSに対して複雑な感情を抱き、なんとしてでも守ろうとする姿は守護者なんですよね。守護者…うっ、頭が……(詳しくはTRUMPシリーズを履修してください)

ANGERの行動原理は一切の公表がないので、どうして能力を得たのか、SADNESSを守るのか、これだけでまた一本できますね。そこを知りたいので続編を、シリーズを続けて欲しいです。お願いします。

ANGERのとSADNESSの関係性をもっと考えてみたいものの、一度の観劇では情報量が少なすぎて思考停止してしまうので、配信を観てもっと考えます。でも、出てこないかもしれないし、今後明かされるのを楽しみに待つ方にシフトするかもしれません。

SADNESSが希望を掴むキーマンとなるのがANGERであってほしいですし、ANGERも自身の希望を掴み取ってほしいです。

 

・SADNESS、星元裕月さんについて

びっくりするほどかわいい。

お噂はかねがね聞いておりました、星元裕月さん。でも生で見るとさらにすごい。綺麗でかわいい。SADNESSの苦悩と合わさって、一番心を引き摺られる存在でした。

そしてねえ、衣装がかわいい。ふわふわのパニエが入った修道女っぽい衣装がめちゃくちゃかわいい。ああいう服が似合わない系女子なので、似合う星元裕月さんを見て眼福眼福となっていました。

SADNESSはこの世界に絶望をし続けている。

そんな悲しいことってあるかよ、と思います。それに反抗するように好きな服(なのかな?)で着飾る姿は健気で、でもすごく強い。

HELI-Xの能力は過去のトラウマが発現している、とありました。

一番それを感じられたのがSADNESS。

自分の意志と関係なく男性の体にさせられた苦悩は計り知れません。だからこそ、「他人の体と入れ替わる能力」が発現したのだと思います。自分の器から解放される能力。その能力を使って、多くのTRANSを殺してきた。ある意味での同族殺しをして、性別からの解放も願っていたのかな、と思ってしまいます。

一体、SADNESSをそこまでの行動に駆り立てたのか、過去が気になって仕方がありません。そして、前述のANGERとの関係。TRANSする前からの知り合いなのか、そうではないのか。SADNESSの幸せを願わずにはいられないので、続編をお願いします。

あとね、これは言いたい。SADNESSの武器がなのは大正解です…、ありがとうございます。

鞭をパシンパシンと振るうSADNESSには服従せざるを得ない、見えない絶対感があります。お姫様、いや、女王様のような高貴で気高さが見えて最高でした。

そして。SADNESSという役どころと、星元裕月さんを掛け合わせたこと。正直、星元裕月さんのことはそんなに存じ上げていないので、なんとも深く言及はできませんが、パンフレットの役柄についてのインタビューを読んで、彼は全身全霊でSADNESSの悲しみを表現していることを感じました。その裏に、どんなメッセージがあるのか、どのような思いで演じているのか、そこまで推し量れませんがきっと、何かこの役柄を通して星元さんは伝えてくれているような、そんな気がします。

……とここまで書いて、星元裕月さんが気になりすぎてブログを見てしまいました。

ANGERとの関係について仄めかしたり、明かされるその時まで「考察までにしておいてね」って言われたら、もうめっちゃ気になるしかないじゃん……。

そう思ったこの瞬間から、ANGERとSADNESSのことが明らかになった時のための、観劇当初の記憶の記録としての役割がこのブログに与えられました。

今感じているこの絶望感の中にいるSADNESSに対する感情を、来る時に憶えている自信がないだけです。はい。

SADNESSという名前がいつどのような経緯でついたのか分かりませんが、SADNESSが「悲しみ」から解放される日が来ることを望みます。

 

・カンザキ、久世星佳さんについて

久世星佳さんですよ!キャスト発表があった時びっくりしました。

元々宝塚が好きで、観劇をするようになったのも宝塚からだったので、こうして元トップの方を拝見できるとは思ってもみませんでした。

やはりというべきか、堂々たる風格。

颯爽と背筋を伸ばして歩く姿は正に「大佐」でした。

小説を見てからだと感じ方が変わるな〜、と思います。つまり?舞台のカンザキは最初のカンザキではない、ケンジョウと同期だった男がTRANSしたカンザキということになりますよね。

ねえねえ、ということはさあ、ケンジョウがあんなにカンザキを目の敵にしているのは、もしかしたら同期の男がカンザキになったことに由来しているのかな、と思うと想像していない方向にも地獄が広がっていますね。毛利さんは意味があってあのSketchを書いたのだと思いますし、どのキャラクターにもそれぞれの物語が用意されていると思います。今後の展開が楽しみです。なので、続編をお願いします。

さて、カンザキの能力ですが、そこに関してすごく私の中で疑問が残っています。ただ単に覚えていないだけの部分も大いにあると思うんですけど、それでも、やはり疑問というか今後のHELI-Xの能力に関わることになるのかな、と思います。

カンザキの能力は「未来予知」「そのイメージを描写すること」二つのような気がします。「予知した未来を描写すること」という単一の能力なのかもしれないですけど、もとを辿れば上記の二つの能力が合わさっている、もしくは別個でそれぞれ持っているのかな、と思うと不思議でたまりません。劇中では「未来を予知する」という部分が強調されて、でも能力名は「Painting」で。小説では、元々のカンザキの能力が恐らく「未来予知」で、元男性の執着があるものが「絵を描くこと」。HELI-Xの能力は絶望やトラウマから発現されるもの、とあったので、現カンザキの能力は、元カンザキの能力も得ている、もしくは併せ持っていると考えると、HELI-Xの能力について何か手がかりとなるのかな、と思います。

そして、カンザキはケンジョウに良い感情を抱いていなかったけれど、カンザキが元男性だったときのケンジョウは、カンザキに対してどのような感情を抱いていたのでしょうか。TRANSがきっかけで関係性がこじれたのであれば、それもまた悲劇。

気になりすぎる、カンザキの存在です。

 

・レスター、服部武雄さんについて

メサイア絡みの感想になってしまって申し訳ないんですけど、私はレスターにハザン・リュカを重ねて見てしまいました。後継者になれるかわからない中での後継者への渇望という境遇が似ているな、と。レスターは父であるBLOODに対して「愛してほしかった、認めてほしかった」という望みと、「どうにかしてやりたい」という憎しみがあったのかな、と思います。複雑な心境だったからこそ、BLOODが殺された後、BLACK BLOODを継いだ時も少しも嬉しそうではなく、むしろ悔しそうな表情がとても印象に残っています。

レスターは能力について言及されていましたが、TRANSしたかどうかはまだ何も言われていません。もしかしたらTRANSしたのかもしれないし、元々超能力的に能力を持っていたのかもしれません。もっと深堀りをしてほしいキャラクターの一人ですので、続編をお願いします。

さっきハザン・リュカに似ている、と言ったその口で言うのもアレなんですけど、ゼロに対する態度はスークのようでもあり。もしかしたら作中で一番メサイアみを感じられるのはレスターかもしれません。

話の本ずじとは全く関係ないんですけど、服部武雄さん、はじめましてだと思ってたらまさかまさかのグランギニョルに出てらして。しかもジャック・ブレアで。思わず「ブレアちゃん!?」って別の意味でも驚きました。今回のレスターは一周回ってかわいいです。

 

・ケンジョウ テンマ、笠原紳司さんについて

・ヤサカ カズチカ、北村海さんについて

今回、大和自治軍での登場だったため、あまり過去や行動の理由については明かされませんでしたね。

今作はただそれぞれの敵対というよりも、信念・信条によって裏切りも寝返りも、二重スパイもなんでもありの混沌とした世界なんだと感じました。

その中で、愛国心の強いケンジョウと彼に心酔するヤサカは、アガタとは違う真っ直ぐさで生きています。今後、ユニオンと大和、大和自治軍、螺旋機関、BLACK BLOOD、そこから脱退したHELI-Xたち……もしかしたら今後増えるかもしれない敵対勢力。どんどんと混沌を極めていくのだと思います。その世界の行末を私は見届けたい。

TRANSしていない人間だけが名字と名前があるっぽいですけど、どうなんですかね。

そして、アガタという名前、ケンジョウという名前、ヤサカという名前。

一体何が由来となっているのでしょうか。螺旋機関の面々も、何をモチーフにして名前がつけられたのでしょうか。

もっと考察したらなにか分かるのかなぁ……。

 

・BLOOD、西岡徳馬さんについて

存在感がすごい(二回目)。

とても気味が悪いキャラクターを、とても気味悪く演じているのが素敵でした。

正直ね、女性のゼロを抱き寄せるシーンとか、結構マジにゾワゾワしましたもん。

それに、カイに許しを与えようとしているときの顔の距離。

パンフレットを読んだ後では、「ま、まさか!!」と思いましたが、たぶんそうなんでしょうね……。

綺麗事だけではない、ということをとても分かりやすく具現化したBLOOD。権力ってものは恐ろしいな、と感じさせてくれました。HELI-Xでもない、戦闘能力も恐らく劇中最弱、でも誰も逆らえない。

それは、BLOODが誰もが欲する「力」を持っているから。

うわー、とても皮肉な対比じゃないですか……。よくこんな構図を思いつきましたね、毛利さん。すごいよ。

どんなに科学が発展し特殊能力があっても、結局は一番強い力は「権力」なんだと思い知らされる存在ですね。

BLOODが死亡したことで、見えやすい敵がいなくなりましたが、今後どのような展開になっていくのかを知りたいので、これはもう、続編をするしかないですね。よろしくお願いします。

 

 


長々と書いてまいりました、HELI-Xの感想。

読みやすさとか、分かりやすさとか、そういうのは全部排除して、ただただ私の思考整理用、そして記憶の記録としてのブログになっています。

書き記しておかないと、この瞬間の感想が消えそうで、消えてほしくなくて、観劇して投稿するまでの二日間、空いた時間はすべてを注ぎ込む熱の入れようでした。

でも、HELI-Xは私をそう駆り立てるほどの魅力があります。

多くの人に観てほしいですし、できれば感想を知りたい。お互いの意見交換をしてみたい、と思う小心者の独り言でした。

千秋楽公演はネット配信もあるので、気になる方はぜひ観てみてください!!

www.dmm.com

よろしくお願いします!!!!!

自分のヒプノシスマイクを持つということ

タイトルは大袈裟だけど、別にそういう哲学の話とかではないです。

ただ、私がヒプノシスマイクというコンテンツに出会って、私自身が少し強くなって生きやすくなった、というだけのただのヒプノシスマイクを推す話になります。

要するに、自分語りかつヒプノシスマイクのダイマです。

 

ご存知の方は多いと思います。

なにがって?

ヒプノシスマイクの世界の治安は悪い、ということです。

今まで色々なジャンルを好きになって来ましたけど、ここまで治安の悪いコンテンツを好きになったことはなかったです。

治安の悪さはまあ直接的には関係ないんですけど、出てくるキャラクターがラップするわけですよ。ラップって要するにdisりあうことも往々にしてあるわけだし、スラングもたくさん出てくる。

それに、言葉も強いし、そして悪い。

普通に生きてて聞くことなんてほとんどない言葉を、ヒプノシスマイクというコンテンツはガンガンに使ってきてくれる。

実に、爽快です。

私が変な性癖を持ってるから、というわけではないとは思うんですけど、強い言葉は時には自分を鼓舞してくれますし、時には冷静にさせてくれると思ってます。

だからか、爽快というか、すっきりするんです。

良いメロディーとリズムに乗ったリリック。それぞれが魅力的なキャラクターに、考察しがいのある世界観。それぞれが相まって、非常に中毒性が高いもののように思います。

コンテンツの発表当初からずっと好きで、舞台、漫画化、アニメ化とさまざまなメディアミックスになっていくなんて想像してなんかいませんでした。

でも、きっと、ヒプノシスマイクというコンテンツ、HIPHOPやラップという文化が今の私のように、しんどさから解放させてくれる存在として感じている人は多いんじゃないかな、と思ったりしてます。

 

私はしがない社会人です。このご時世でも仕事が休みになったりしない、いわゆるエッセンシャルワーカーというやつをやってます。

自分の職場がホワイトかブラックかと言われれば、ホワイトに近いグレー、といったところだと思います。福利厚生的にはね。

でも、まあ見えないところではいろいろあるのが世の常でです。そんなひどいパワハラではないんですけど、まあまあなパワハラがちらちら見える職場なんですよね笑

うわー本当にこういうこと、この時代にあるんだー、とある意味面白いことは面白いんですけど、ああいう対自分への理不尽な態度って結構メンタルが抉られるんだな、と身をもって実感しています。

まあ、続くようなら辞職覚悟で上司とやり合う予定なんでいいんですけどね。

パワハラ、ダメ、ゼッタイ。

 

まあ、観音坂独歩よりもライトな社会人の私ですけど、元々はそんな暴れ馬な方ではないし、メンタルもそんなに強い方じゃなかったです。

でも、ヒプノシスマイクと出会って、病んでもそこから這い上がる生き方ができるようになった気がします。

よくある夢小説のようにキャラクターが応援してくれる、と言うものより、自分自身が武装する、というニュアンスでしょうか。

荒廃した世界観で、女尊男卑のような政治体制、そこに反抗していくレジスタンス的な男性キャラクター達。

 

戦いこそが生きる道であり、勝者こそ正義

自分の正義を貫きたいなら戦え、そして勝て

 

私のメンタルが荒廃してるからかもしれないですけど、ヒプノシスマイクからそういうメッセージを感じています。

強いっていいよな!!!!

いや、全然ラップとかできないし、上手く韻も踏めない、ただのHIPHOPに関しては完全なるにわかなんだけどさ、HIPHOPって最高だな!!!!って思ってしまうのは仕方のないことだと思います。

 

治安が悪い部分が私の中にできたことで、反抗することを覚えてしまったんですね。

理不尽だと思うことに、なぜ泣き寝入りしないといけないのか。

上の発言に逆らったらいけない、というのはいかがなものか。

 

ヒプノシスマイクは王道か邪道かはさておき、各キャラが自分の信念を貫くところがとても好きです。

しかも、その手段に言葉を使う。

 

言葉にしにくいんですけど、言葉を使って戦う、ってところに少し救われた。

そして、強くなろうと思えたし、強く生きられる気がした。

まあ、戦うことが正義なわけではなく、そこから良い改善策を見つけられるのなら、喧嘩腰ではなく協議という形に変えれば良いわけで。

 

つまるところ、思うことがあるなら発信しないとなにも変わらないし、なんのための言葉だよ

 

と、考え方が変わりました。

まあ実際、声の大きい人の意見が通りやすい社会ですから、自らが声を上げていかないと意見なんて通るわけはないんですけどね。

ただ、今までは事なかれ主義で、自分の意見も言えないような自分自身が、少しだけ強くなれた、そのきっかけがヒプノシスマイクだった、というしょうもないお話なんですけどね。

 

個人差はありますが、ヒプノシスマイクはいいぞ。






↓↓↓↓↓以下、ちょっとフェミっぽい話が出てくるので、自己責任でお願いします↓↓↓↓↓

 

中王区の曲の「Femme Fatale

最高に強くてかっこよくて大好きです。

コンテンツの制作側が想定した流れなのかは置いておいて、YouTubeのコメントでよく見掛けたのが、「女が強い世界って生きやすそう」という感じのコメント。

別にフェミってわけじゃないんですけど、それな~~~~~~~~~~って共感の嵐だった。

今までの人生、女だからって被害に遭ったり、搾取されたり、我慢したり、ってことは思い返せば誰しも1つや2つはあると思います。

そう感じることが普通のことだと思い、何も感じなくなったり、セクハラまがいのことを言われても、またか、って思ったり。

 

でも、「違う、女性も強い」っていう圧倒的な強さを見せつけられたようで、これまた少し強くなれた。

元々、「女の子だから」とかって言われることが昔から腑に落ちなくて、女だからなに?別になんでもできるけど、と思ってきてました。

 

女の子なのに、がさつだね

女の子なのに、家庭科できないの?

女の子なのに、怪我ばっかりして

女の子なのに、結婚したくないの?

 

うるせぇよ、って話です。別にがさつなのは性格だし、不器用だから家庭科なんてすごい苦手だし、裏山が遊び場みたいな幼少期だったから生傷が絶えなかっただけだし、結婚には今でも興味は湧きません、他人と同居なんて考えられない。

全部全部、女だろうが男だろうが関係ない。

 

女だからって、気が使えたりおしとやかさを身につける必要があるわけじゃないし、

女だからって、家庭科ができるわけじゃない

女だからって、動くのが好きな子もたくさんいる

女だからって、結婚したいとは限らない

 

その価値観に、私も侵食されていきました。

女の子だから、女性だから、と枕詞のように念頭に置いて考えることが日常化していて。

弱い立場で、搾取される側だとしても、別になんとも思わなくなって、ただただ理由のないやるせなさを感じることが増えて。

でも、中王区は違う。

女性であることがデメリットではなく、メリットとして扱われる。

いわゆる「深夜にラフな服装でコンビニに行ける」というアレです。

まあ、男性への税金が10倍のあたり、ちょっとやりすぎだなぁとは思いますけど、でも、それくらい恐れられる立場になって初めて、女性も男性と同じ行動を取れるんだな、と感じたわけです。

 

ちょっと話は変わるけど、セクハラってね、すんごいメンタルを削られるんです。

たった一言、されど一言。

あくまで個人的な視点ですけど、自ら性的な対象になろうとしていない場面で、関係の薄い男性から性的な目で見られることって非常に気色悪い

その瞬間、女であることに嫌悪さえしてしまいます。

私は別に女性性に違和感を覚えたことはないです。

でも、そのときだけは女で生まれたことを後悔してしまいます。

 

きっと中王区では、そういう思いはしないんでしょう(最も、女同士のいざこざは多そうだけど)。

自分ではどうしようもない部分を弱みにされない。

中王区、ひいては言の葉党の支持率が高くなるのは、女性にとっては希望であり、そこが第一党であるからこそ、女性という部分が強さになる、という意味が孕んでるんだと思います。

 

セクハラされない、弱いと思われないために、自己防衛として強い女になろうとするのではなく、ただ単にかっこいいから、というファッション感覚で強い女になれる、そんな時代が来てほしいものです。

 

でもそれは男性側も一緒で、負わなくていい責任を負ったり、強くないといけないことを強要されるてしまわない、それぞれが性別に左右されないような世界になればいいな、と思います。

ヒプステはヤクと言ったな?そうだ、2次元と3次元の境界を曖昧にする強烈で最高なヤクである。

ヒプノシスマイク-Rule the Stage track.3-観てきました~~~~~~。
最高すぎて、語彙力が皆無です。IQ3くらいになってます。好き、かっこいい、好き、しか語彙がなくなってます。でも、それが楽しい。
ガンガンにネタバレします。
観ていない方、ネタバレ嫌な方はご注意ください。
それに、感想という名の全て妄想です。役者さんが語ったとか、そういう裏話とか役作りとかあったとか一切知りません。ただの、私の、妄想です。

 

オオサカ・ディビジョン―親愛と情愛と、ほんの少しの寂しさと―


オオサカは地味に好きです。(地味って言うな、と言わないで)
推しディビはヨコハマとナゴヤなもんで、オオサカにまでハマったらやばいな、と思ってあえて手を出してない部分も大いにあります。だってさぁ、曲もいいし、キャラも立ってるし、全員のあの大人感やばいじゃん、真っ当な職に就いてるのが2人もいるとか安泰じゃん(なにが)。
それはさておき、オオサカには絶対沼るし、ステでオオサカはやべえ…と思ってたんですけど、案の定やばかった。語彙力ないですね。

 

白膠木簓―笑いの裏に哀愁を漂わす―


はいどうも~~~~~!!!!!
白膠木簓さん、ルックス最強ですやん、こんなん。どっからどう見ても白膠木簓。あのお目々のくりっとした荒牧慶彦さん、ずっと半目で演じてるなんて信じられないくらい、目ぇ細かったよ???で大事な時に開眼するとか、こんなんオタク好きやん、分かってんじゃん。
白膠木簓は今回は話の根幹というよりも、ほぼほぼ躑躅森蘆笙への未練、そして親愛に対しての関わりだったと思います。
彼のヒプノシスマイクはスタンドマイクじゃん?漫談用の。大蜘蛛弾襄とバトルする時に、白膠木簓、蹴ってクルって回すんですわ。めっちゃかっこいい。白膠木簓、お前、そんなこともするんか、って思った。思いました。しかも、上でぐるぐる回すし、ヒプノシスマイクってそんなにぞんざいに扱っていいの?って。まあ、ぞんざいな扱いは波羅夷空劫の方が上なんですけど、それは彼の項で後述します。マイク捌き、見てみてほしい。
あのね、白膠木簓はめちゃくちゃ器用。器用に世渡りもできるし、笑いも取れる。周囲の人を笑顔にすることもできるし、本当になんでもできるスーパーマンのような人なんだと思います。でも、周りを笑かせられても自分自身を笑かすことが難しいん違うかな、と思ったんですよ。白膠木簓が爆笑したりニコニコしてる時って、隣や近くに蘆笙先生がいて、漫才のようなツッコミを入れられてる時で、その時は心の底から楽しそうな白膠木簓が見えたな、と思うんです。(すべて妄想です)
道頓堀ダイバーズの子に対しても、「何が何でも相方を失ってはいけない」と声に出して言えるのがかっこいい。例えそこに、かつての相方である躑躅森蘆笙がいたとしても、自分の思いを声に出して言える、それができる白膠木簓は人としてとても成熟しているんだな、と思います。
そして、蘆笙先生が「あの時の……」と言いかけたのを遮って、「今は隣にお前がいるから」ってさあ、蘆笙先生は漫才の相方というだけではなく、白膠木簓の人生においてかけがえのない人って言ってるのと同義じゃん???って思うんです。
それに、よく考えると(よく考えなくても?)、白膠木簓って碧棺左馬刻との別れ、躑躅森蘆笙との別れ、と2回も一度は築いた関係性を解消してるんですよね。その笑顔の裏でめっちゃしんどい思いを繰り返してたんやな、と思うと、どつ本で笑顔でいる白膠木簓の顔が涙で滲んで見えてきます。
そんな彼が、「相方を失ってはいけない」と、「行動を起こせ」と、あの日の自分と同じ思いをさせないかのようにけしかける姿は、後悔を、悔しさを知っている『大人』そのものだと思いました。
白膠木簓は飄々とした雰囲気からは感じられにくいけれど、まっすぐとした心の持ち主で、人を日の当たる場所へと導ける先導者のようだ、と思います。

 

躑躅森蘆笙―教育者として、人生の先輩として―


蘆笙先生~~~~~~~私の高校時代の担任になってくれ~~~~~~~進路相談に乗ってくれ~~~~~~~~~~~~数学好きだったから自学の手伝いしてくれ~~~~~~~~~~~~
ってめっちゃ思いました。蘆笙先生、めっちゃ先生だった。あんな先生、高校生の時にいなかったけど、でも、あんな先生いる、って思えるくらいめっちゃ先生だった。
好き勝手する白膠木簓に対して怒ってるんだけど、その対応がめっちゃ先生。しかもちゃんとツッコミもいれるなんて、なんて最高なんや……。大人の対応ができる、というだけでヒプステ、及びヒプマイの世界ではかなり希少。
蘆笙先生、ルックス最高。綺麗で美麗で、そして脚が長い。股下5mあったよね???うん、あった。
それにね、蘆笙先生のヒプノシスマイクはインカムじゃん?両手がら空きじゃん?殴れる。殴れるんですわ。きっと蘆笙先生は元ヤン。
額に掛かる数本の髪の筋が色気を出してて、大人やん~~~~~って思ったんですよ、色気、青年期から壮年期への過渡期に入り始めた大人の男の色気がね、あったんです。その点では、白膠木簓は成熟した大人の考えを持ちながらも、まだまだ青年なんです、きっと。夢を見れる、希望を見いだせる、その若さが白膠木簓にはある。
躑躅森蘆笙が諦観しているとか、そういうことではないんです。でも、躑躅森蘆笙は自分より若い高校生を見て、そして過去の自分と比較をしてしまうタイプなんじゃないかな、と思うだけで。あの時こうしておけば良かった、なんで自分なんか、と自省という名の自己否定を繰り返していた時期もあったと思ってます。
でも、白膠木簓と出会い別れたことで、自分の生きる道であったりすべき事が見つかった、そこを軸として立てるようになったことで、一つ、大人となった気がします。
生徒に仇なす人に対して、巻き舌+べらんめえ口調で突っかかっていくのも、元来の気質が見えるようで楽しいです。蘆笙先生は何かきっかけがあると、周囲の目など気にせずにどんどん行けてしまうタイプなんだろうな、と。普段怒らない人が怒ったときの方が怖いから、きっと白膠木簓も蘆笙先生のことは怒らせないんじゃないかな、と思ったりしてます。でも、白膠木簓とは結構ガチな喧嘩を2回や3回はやってそう……。周りが引くほどのやつをやってる気がしないでもない。で、折れるのは白膠木簓。蘆笙先生は頑固そうな気がするからな~~~。
白膠木簓の光に当てられた一人の蘆笙先生。でも、今は彼が若者の光となるべく情熱を燃やし、持てる力を注いでいる。
過去を乗り越えて、今を乗り越えて、自分が照らす道を歩まんとする彼は、かつて相方に照らされていたとは思えないほどの光を放っている気がします。

 

天谷奴零―色気マシマシ物語のフィクサー


あのね、これは最初に言いたい。
天谷奴零の年齢の体の厚みを見事に出してくれてありがとうございます!!!!!!!!
立ち絵のスリムさもいいんだけど、実際の46歳っていったらもっとムチムチしてるんですよ。でも、イケオジの46歳だからスタイリッシュの中に溢れ出る熟成した大人のムチッとした色気があの体型から表現されて、ブラボーすぎる……。天谷奴零以外もこだわりの塊なんだけど、衣装のナカサチさんが最高の衣装を手掛けてくださってて、より天谷奴零の色気が増してました。色気と、信頼できない危ない雰囲気と。綺麗に共存していたのは衣装のおかげも大きいです。ありがとうございます、ナカサチさん。
物語の本編の始まりが、天谷奴零の電話から始まるの、最高にショータイムじゃないですか?
それに、電話の相手はきっと無花果様なんだろうけど、それをあえて明言しないことで会場の観客を一気に『中王区の人間』に見立てて、舞台という『ショー』と、物語の流れにある『ショー』の両方の観客になる、というダブルミーニングに後から気づいてぞっとしました。
演出の植木さんなのかな、これ考えたの。最高じゃん、って。
どついたれ本舗は白膠木簓躑躅森蘆笙の絆が強すぎるから、かなり関係希薄な天谷奴零くらいの存在が丁度いいような気がしてきてます。何かあれば頼るけど、それは“チームのメンバー”として頼るだけで、人間性は信頼していない感じ、ひしひしと2人から感じられます。でも、どついたれ本舗は大人だから、お互いが踏み込まないギリギリのラインでチームを保っていられる。バランス感覚が上手いです。
あとさ~、調査報告がさ~、三郎と一緒なんですわ……親子、一緒に暮らした、生活したことはなくても、血は繋がってて、天谷奴零の狡猾さは三郎の頭脳に受け継がれたんだと思うと、なんか、胸のあたりが苦しいです……。
そういえば、かつて軍の開発研究部に所属していたはずだから、きっとその時に蛇穴健栄とは出会ってると思うんです。天谷奴零の部下の一人に蛇穴がいたらいいなぁ……。天谷奴零は話術も巧みだし、でも義理堅いところもあるから、蛇穴はそういう天谷奴零に心酔していた、とか今後の展開で出てきてほしい。お願いします、アカバネ・ディビジョンを再度出してください。大好きなんです。
天谷奴零、ヒプステならずヒプマイのフィクサーでありながら、これといってまだ掴みどころがない男。今後の活躍というか、彼の一挙手一投足で世界は変わるだろうし、何よりどついたれ本舗が悲しまなくていいように、天谷奴零が動くことを願うばかりです。

 

ゴヤ・ディビジョン―青春なんだ、これは、取り戻したかったあの頃の―


眩しいですゴヤには晴天が合います。ギラギラとした夏の太陽が似合います。
強いんです、彼らは。自分の生きる道を知ってる。
いや〜、推しディビの1つがナゴヤなもんで、絶対にやばい、落ちると思ってたんですけど、まあ予想通りといいますか、予想以上といいますか。今まで以上に好きになってしまいました。ガラが悪いんすよ、彼ら。え、僧侶、ミュージシャン、弁護士っていうある程度しっかりとした肩書があるんですよね?というくらいガラが悪い。ヤンキーじゃん、好き。

 

波羅夷空劫−彼の通った道が正道となる−


大好きです(唐突)。
ヒプステ恒例の、テーマ曲でオリジナルの立ち絵から同じポージングで出てくる演出。ねえ、2次元の推しが3次元に登場したらオタクはどうなると思う?
軽率に死にます。
私はtrack.1の入間銃兎で経験済みだったし、track.1 、track.2と通ったから想像も難くなかった。でもね、やっぱり慣れない。いい意味で慣れない。
来るぞ、来るぞ、っていう期待感があるからこそ、っていうのもあるけど、期待を裏切らずむしろ想像以上で、ポージング以後の動きも見たことないのにまんまキャラクターでさ、「あ、私この動きをする波羅夷空劫知ってる」ってなりましたもん。
錫杖型のヒプノシスマイクをバトントワリングのようにくるくる回しまくる波羅夷空劫、ハンドサインの手の振り方が豪快でいかつい波羅夷空劫、ファンサなんてしなくてニコリともせず、どちらかといえばムスッとした表情の波羅夷空劫……。
どの一瞬を切り取っても、そこにいる波羅夷空劫を『私は知っている』と思うんです。もちろん、波羅夷空劫だけでなく、他のキャラクターもそうなんですけど、推しだからこそ、これまでいろいろな動きだったり、言動だったりを想像(という名の妄想)を繰り広げていました。だから、少しの動きの違い、言い方の違い、言葉遣い、言動の違いが解釈違いに繋がってしまう恐怖が少しありました。まあ、これまでのヒプステからして絶対にそれはないという確信ももちろんありましたが。
でも、そんな恐怖心を一気に吹き飛ばし、今まで抱いていた「波羅夷空劫」という偶像に、もっと強烈なイメージを与えてくれたのが、今回の廣野凌大さんが演じる波羅夷空劫だったんです。
気付けば、テーマ曲が終わったときには泣いていました。
そこに、波羅夷空劫がいたんですから。例え観劇した席が、2バルのサイドの最後列だったとしても、波羅夷空劫という存在感がそこまで到達するほど、心を揺さぶるほど大きく、強烈なインパクトを持っていたんです。
この感動を味わうだけで、18,000円(手数料抜き)を払った価値がありました。
波羅夷空劫は倒したい相手かつての相棒、「Naughty Busteres」の山田一を挙げています。ちょっとコミックスの方は解釈違いを感じそうで1巻しか履修してませんが、別離の理由はそれとなく知ってます(くらいの程度です)
まあ、きっと真正ヒプノシスマイクによるものなんだろうなぁ、空劫にとっては本心ではないだろうなぁ、という認識の元の話、と思ってください。
波羅夷空劫はヒプステで登場したキャラクターの中でも屈指の強さ誇ると思います。完全に倒したかどうかは不明ですが、その場では動けないほどに1人で打撃を与えたのは、ヒプステを通してでも波羅夷空劫くらいじゃないかと記憶してます。(弾襄様はお縄になったんだろうね、その弾襄様も見たいよ、好きだよ)
ヒプノシスマイクの強さは精神力の強さと(ラップの強さもあるけど)と比例するんでしたっけ?多分そうだったと覚えています。
その点では、波羅夷空劫めちゃくちゃ強いじゃないですか。僅か14歳で親父の住職でも成し遂げられなかった荒行達成してるんですから、並の精神力じゃないことが分かります。
それだけ精神力が強いのが波羅夷空劫なんです。
きっと演出・脚本の植木さんも、波羅夷空劫のその強さを表現したくて、オオサカにダメージを与えられてたとはいえ、力のある弾襄様を倒す空劫、というシーンとなったのかな、と思ったりします。
さて、その『強さ』についてです。
以前、track.1の時に、「一郎は正しい、一郎は強い、一郎は強者」と考えました。(詳しくはその時のブログ

ヒプステは最高、あれは合法的にトリップさせてくれる薬である - ごみ箱(未処理)

参照)
波羅夷空劫もそうです。彼は『強い』。精神的にも、物理的にも。
彼は人の道を照らすことができる。それは彼が意図せずとも勝手に。彼が通った道が正道となるほどの眩さを持っています。それは天性のものでもあるとは思いますが、そこに加えて、波羅夷空劫自身が努力して勝ち得たものだとも思うんです。
何でもかんでも対比させればいいわけじゃないのは知っているけども、空劫と対になる存在は山田一郎なわけで。
ある日を境に道を違えた2人ですが、チームを組んだ相手でその後の価値観や人生は変わったのではないかと思います。
画一性多様性か。
どちらにも強みと弱みはありますが、山田一郎は画一性を、波羅夷空劫は多様性を選択しました。
その結果として、一郎は弱みの方が強く出てしまった印象を持ちます。
一郎も進む道は正道で、放つ言葉は正論ですが、それを弱者は往々にして眩しすぎて『偽善』と映ってしまうことと思います。
波羅夷空劫も一郎のようになってしまう危険性は大いに孕んでいますが、ドラパ含め劇中でそういう描写はありません。
その違いとして、先程挙げた『画一性か多様性』にあると思います。
それぞれのチームの特色として、山田一郎は兄弟で作ったチームであり、そこの最年長およびリーダーとして引っ張っていく責任が必要です。でも、弟たちは兄を盲信のように信じてついてきてくれる。それがあるから成り立っているとも思いますし、Buster Bros.としては正しい形なんだろうな、と思います。
でも、その歩む道がもしも曲がってしまったら。
誰かを傷つけてしまう険しい道を示してしまったら。
もしも。
一郎は強いから乗り越えられるかもしれない、問題なく通っていけるかもしれないけれど、世の中の多くの人は一郎ほど強くないから、その一郎の強さに背を向けてしまうかもしれません。
それに対して波羅夷空劫の周りには、四十物十四と天国獄という属性が違う2人がいます。
『弱者』という立場であったけれども、それを乗り越えて自らのやりたいことを確立させた四十物十四。
未成年の2人を導き、厳しく注意することができる大人の天国獄。
いくら達観しているとはいえ、波羅夷空劫はまだ19歳の未成年で、血気盛んで過ちを犯してしまう危険性はありますが、突っ走ってしまう前に一回立ち止まって考えることができる機会があるかどうか、って大きな違いだと思うんです。
その違いが今後、山田一郎と波羅夷空劫が再会した時にどのように働くのか、と思うと面白くもあり、怖いです。
真正ヒプノシスマイクで一郎への嫌悪感を植え付けられているとはいえ、一郎に対して離れていた期間に成長した部分をどのようにお互いが感じるのでしょうか。

あ、ここからはただの頭悪い感想なんですけど、あのね、波羅夷空劫がね、スカジャンを脱いで心のままに暴れるの、最高オブ最高すぎません???俳優さんは成人してるけど、波羅夷空劫は未成年なわけでさ。これまでのヒプステで肌色成分はかなり少ないじゃないですか???たぶん波羅夷空劫が一番肌色成分が多かったわけですけど、照明と相まってさ、肌がめちゃくちゃ白く輝いてて、なんか触れて穢してはいけないものを見ているような背徳感にゾクゾクしました。未成年の無防備なわきを見ていいのか、と。わたしは。
衣装最高なんですわ…みんな、ナカサチさんのTwitter見て……。

彼の通った跡が道となり、それを標として歩む人もいるでしょう。波羅夷空劫はその手を引くわけでも振り払うこともなく、我道を行くだけです。でも、彼に救われた人はその背中から勇気をもらい、ついてくる。波羅夷空劫は無意識に人を導くことができる人だと感じました。

 

四十物十四―弱さの先に掴んだ強さ―


四十物十四、実在したんや……。
ヒプマイのキャラの中で再現するの難しいキャラ一位じゃないですか、彼。声と身長と歌唱力とをすべてこなさなければならないって、どんな高いハードルだよ、と思いました。
でもね、加藤大悟さんは正に四十物十四で、特に人前で出てくるキャラの時の声と仕草は本当に四十物十四で、14th moonだったんです!!!!
今回は糸の会との接点を作る役どころでしたが、まあ、十四くんなら普通に入信してそうだな、とも思いました。自分が救われたいだけじゃなくて、苦しんでいる誰かを救いたい、という思いが強いからこその入信だったと思いますし、天国獄に裏仕掛けを教えられてすぐに辞めることができるのも、彼の素直さと過ちを認める強さがあってのことだと思います。
案外、人に謝ることって難しくて、自分に非があるなんて認めたくないものです。でも、それを容易くできてしまうのが四十物十四なんです。自己肯定感の低さから、とも取れるかもしれませんが、勝手ですけど私はそうではないと思ってます。優しいからこそ、自分の行いで誰かが傷つくことを良しとしないのは、十四くんの強みかな、と思います。
ヒプステではしきりに空劫に叩かれたり蹴られたり…そのじゃれつきが10代っていう感じで、青春でさぁ、眩しかったよね…。基本的にヒプマイの世界観は荒廃してるし、H歴の治安は最悪だと思うんだけど、この2人はまだ若さとその立場が故に、世間一般の荒波を知らないんだろうと思いますし、だからこそ現代と変わらない触れ合いが生まれてるのかな、と思うと、とても愛おしい。
普通に高校行って、普通に友達に囲まれて、普通に将来を考えて、が難しい空劫と十四くんだから、Bad Ass Templeの仲間、家族として青春の真似事をできていると嬉しいです。それを、天国さんは過ぎ去った当時を思い出すように注意しつつも、少し羽目を外したりなんかをしてくれれば最高です。
なんて言ったって、ゴヤは家族なんですから。
波羅夷空劫という太陽の光を受けて輝く月の四十物十四。でも、陰を知っているからこその優しさや強さを兼ね備えた彼だからこそ、強さを押し付けることなく寄り添っていける稀有な人物だと思います。
彼の青春の記憶が笑顔で塗り替えられますように、と願っています。

 

天国獄―正義を知り、邪道を知り、人を救う―


あーー、あのるいるいが、大人としての役をしてるなんて…あの、るいるいが。
と、メタい意味での感慨が深かったです。
かわいいるいるいしか知らなかったので、大人の色気と迫力を兼ね備えたるいるいは、もう青柳塁斗さんと呼ぶのがふさわしい貫禄を感じました。
そして相変わらずアクロバットが上手い、ダンスがバキバキ。最強じゃんね。
天国さんのヒプノシスマイク、天秤だから歌ってる時に天秤の皿がグワングワン動いてて絡まってて、ちょっと笑いました。でも、決まるところでは綺麗になってるんだからさ、どうやってるんだろうね。地味にそこが気になってます。
それにね、ちゃんと足元もラバーソールで、リーゼントを撫で付ける仕草が様になってて、天谷奴零とは違った、ややノーブルな大人の色気を感じました。
天国獄さん、ドラパよりも苦労人感が出てて、世話焼きで、どんなことをしていようと人を導ける人なんだな、と思いました。
ヒプマイの中では数少ない真っ当な大人で、言っていることは社会常識に沿っている正しいことなんですよね。
未成年のチームの家族でありながら保護者でもあり、突っ走ってしまいそうな彼らのストッパーとなるのが天国獄でした。
天国獄は神宮寺寂雷の昔馴染みで彼に勝ったことがない、というコンプレックスも抱いていますが、そういう感情もすべて飲み込んで、人を頼れる強さがあります。え、天国獄ってめっちゃ人間できてるじゃん……。
「クソが」「バカが」「生臭坊主が」
と罵詈雑言のオンパレードですが、面倒くさそうに言っててもそこには家族に対する親愛がある。
金にうるさいのに、実際金にならない仕事を自らしたり、サポートという名の尻ぬぐいをやったり、めっちゃいい人じゃん……。天国獄、幸せになって……。
考えると、ゴヤって人を導くことや道を示すことを生業としている3人だな、と思います。
人を導くことに関しては天国獄が一日の長であり、まだまだ未熟な波羅夷空劫と四十物十四を導く存在になりますね。
自分のコンプレックスと向き合いながらも、今後もナゴヤの3人と家族というかけがえのない存在を大切に守ってくれる守護者のような存在であってほしいです。

 

糸の会―入信させてください―


出ました、キョウト・ディビジョン。待ってました。
本当はキョウトはもっとはんなりとしながらも京言葉で強烈にdisってくるものを期待してましたけど、これはこれでいいのだと思います。
それにね、ナゴヤから向かうのに、新幹線で1駅で行ける方が便利だしね、きっと大蜘蛛だったり弾襄様のモデルとなったであろう松永久秀のいた美濃の方にしてしまうとオオサカから行きづらいだろうしね。まあ、そこらへんの交通事情は知らないんですけどね。

 

大蜘蛛弾襄―敗北者だけで立ち止まらない―


ルックスからして弾襄様好きです~~~~~
なんですか、最初の三つ目のサングラスwwwいや、大蜘蛛から着想を得たんだと思うんですけど、でもよくあんなサングラス見つけたな、と思います。特注で作ったのかな、ヒプマイくんならそれくらいしそうな気もしないでもない。
ライブパートで会場が一気に信者にさせられるスタイル、大好きです。めっちゃニコニコしながら指を掲げてました笑
弾襄様はヒプステではほぼ初めてかな、の分かりやすい悪役でしたね。
アカバネのNBは悪役ではあったけど情状酌量の余地があるといいますか、違法なものを使ってはいたけど関係ない人を傷つけることなく自らの力で世界を変えようとしました。でも、それはある意味ではまだ中王区の権力の強さを知らないからできたことなのかな、と思います。
大蜘蛛弾襄は旧政府の中枢にいた人物ですから、一筋縄では太刀打ちできないことを知っている。だから、違法ヒプノシスマイクを用いて、金を集めて、人を集めて数の力で立ち向かおうとしたんですね。それは間違っている方法かもしれないけれど、きっと正しい方法では到底無理だったんだろうね。まあ、言の葉党の支持率エグそうだもんね…。そういう私も中王区の女だから、言の葉党を支持している一人だけど。
でもね!大蜘蛛弾襄様の素敵なところはあって、ちゃんと信者の名前を覚えて、「君」とか「あなた」とかじゃなくて名前で呼ぶんですよね~~~~「小鳥遊くん」ってさ。あくどいことを考えてる教祖様なのに、十四くんのこともちゃんと名前を覚えているんです。きっと、弾襄様って頭のキレる人物なんだよね~、だからこそ宗教の教祖になるという方法を考えついてまあまあ成功してるんですけどね。

アカバネのカズは、中王区に家族を奪われた。
アサクサは、友人との関係を記憶を。
そしてキョウトの大蜘蛛弾襄は、地位を、名誉を、これまでの生活を奪われた。
そりゃ、恨むわな…と思いますし、いくら中王区の女の私でもやりすぎだな、と思います。

中王区に反逆を目論む者達よ、どうか彼らにも幸せな未来が訪れんことを。

 

道頓堀ダイバーズ―どんなクソな世界でも希望はある、と語る彼らの瞳―


ごめんなさい~~~~~力尽きたので、後日追記します。書きたいことはたくさんあるんです……。
ひろりんかわいいよね…。

ちゃんと追記します。

ヒプステは最高、あれは合法的にトリップさせてくれる薬である

ヒプステ観に行ってきました。観に行ってきました!!!!!

ヒプノシスマイクというコンテンツが始まった当初から応援していた私はね、正直舞台化には最初は微妙な心境しかなかったんですわ、マジで。

めっっっっっっっっっちゃ最高の舞台だったので、この気持ちを消化するためにブログを書いています。

※とてもネタバレするので、ネタバレ禁の方はご注意ください

 

 

観に行くまでの経緯、またの名を読み飛ばしてもいい自己紹介

元々、舞台は好きですけど、何でもかんでも無闇矢鱈に舞台化してほしいわけじゃないし、舞台化したはいいけれどまあ大層にコケたものとかも知ってるから、安パイ取りたいじゃないですか。はい。

だから、最初はチケット取ってなかったんですけど、幕が上がればTwitterでヒプステ絶賛の嵐ですよ。

自分でもよく分からないんですけど、

「行くしかねえじゃん…」

とは思ってました。でも、思ってただけで、ライビュとか配信でもいいかな、くらいのめちゃ吹けば飛ぶくらいの軽い覚悟で。

でもね。

自分でも、めっちゃ馬鹿だな、と思うんですけど、11月22日の夢で、行ってもないのにヒプステを観に行った夢を見たんです。夢だからキャストに直接、「すっごい最高だった!!」と伝えたら嬉しそうにしてたのを見て、もっと応援したい…、と夢の中で思ったわけです。

で、そこで起きて、まず思ったのは、

「そうだ、ヒプステを観に行こう」

だったわけですwww最高に馬鹿でしょwww18000円するのに、こうもあっさりと決めていいのか、と自問自答はしました。しましたけど、もう思考は「行く」ことが前提だったので、行かないと言う選択肢は0.1秒で消えました。

で、公式のリセールで買った席が、なんと、ほぼセンブロで通路近く、真後ろが通路、というなんかたぶんとても良い席なんじゃ…?という席を引きまして。

この席が、今後の私の運命を左右するなど、この時は思ってもなかったのです。

 

各ディビジョンの感想などー思いのままにー

イケブクロ・ディビジョン―世界は愛に満ちている―

イケブクロかわいいかよ~~~~

一郎、二郎、三郎がそのまま二次元から飛び出てきたような感じでした。ルックスもさることながら、なにより関係性が本当に山田三兄弟だったんですよ、しかも、兄を妄信的に慕う二郎、三郎感はありながらも、どことなくT.D.Dの時の一郎の感じや距離感もあるように感じまして、ヒプステはヒプノシスマイクから地続きの話の中にあるんだと、より強く感じました。

一郎だけ芸歴が長いから、やっぱり余裕が見えるんですね。そこがまた山田三兄弟の雰囲気をより強くしているような印象です。

山田二郎 彼はミケランジェロ

個人的に、二郎が最っっっっ高に二郎ちゃんで、ちょっと日和ったりする感じとか可愛さ爆発してるんですよね。ルックスもめちゃくちゃ二郎ちゃんで、かわいかった…。二郎推しの人、生きてるかな、と思うくらい二郎がそこにいた。

 

山田三郎 天才、そして少年

三郎くん、今回初舞台なんですね。初舞台がこんなエネルギー消費が激しそうなやつって引きが強いのか、なんというか。でも、三郎の生意気な感じとか思春期の感じ、すっごい胸に響くんですよ、これが。口をついて出るのは二郎の悪口だったり、知能は高いのに喧嘩っ早いところは兄弟だな、って思うし、三郎も三郎でした。

 

山田一郎 正義とは、偽善とは

そして一郎。洸くんのことは前々から知ってましたし、ラップ調の曲も歌っているのも知ってました(知らない方は刀ミュ 膝丸で検索検索ぅ)。でも、全編ラップのヒプステではどうかな、と思っていたんですけど、そんな心配なんてしなくてよかったです。

一郎がそこにはいました。一郎が、一兄がいました。包容力はあるんだけど、そこはやっぱり19歳。情に流されやすく、理想を語る姿はまだ現実が見えていない子どもでした。

元々、左馬刻から『偽善者』と呼ばれていた一郎。なんとなくですが、ヒプステで一郎が偽善者と言われる所以が分かった気がします。確かに一郎は正論を言いますし、一郎のしたいことは多くの場合、多くの人の場合、良いものです。だけど、左馬刻やカズにとって一郎の言葉は、体の良い正論でしかないんです、きっと。

 一郎は力があるから。

 一郎は強いから。

一郎自身が気づかないところで、無意識に人を傷つけてしまう。一郎が悪いわけではないんだけど、弱き者からすればその自ら輝く存在というだけで嫌悪の対象となってしまうんだと思います。一郎の口から出る言葉は正しいとは分かっていても、それは力ある者にとってだけの正論であって、それ以外の弱者にとっては一郎の姿は『偽善者』にうつってしまうのかな、と思ってしまいます。

ヒプステで、そこに気づきました。

 

ヨコハマ・ディビジョンー誰が大人の集まりだ?幼女の集まりじゃないかー

いや、めっちゃかっこいいんですよ。

ハマの女ですし、入間銃兎が推しなので、事あるごとにハマばっかり見てました。

めっちゃかっこいいんです。

でも、ハマを知っている人ならわかると思うんですけど、やっぱり幼女の集まりだな~~~~~~って思うんです笑

ほのぼのできるのが、今回メインに関わらないハマだからっていうのもあると思うんですけど、たぶん日替わりのところがまじでかわいい。これ、25歳,27歳,29歳の会話か???と思うくらいかわいい。

銃兎の「理鶯、今日はお腹の調子が~…」という時の声が最高にかわいくて、本当にかわいかった。語彙力なくなってるね。

 

碧棺左馬刻 ハマのお姫様

碧棺左馬刻さま。サマトキサマ。ハマはね、入間銃兎と毒島・メイソン・理鶯が背が高かったり体格が良かったりするからね、ハマのダブルタワーに挟まれたサマトキサマは華奢でかわいかったの。顔がお上品な綺麗さで、でもタバコをずっと吸ってて、歩き方も族みたいな肩を揺らしながらなんだけど、線が細くて華奢なの。そして、銃兎と理鶯に挟まれたサマトキサマは連行される宇宙人って言いすぎだけど、より線の細さが際立って、ハマのお姫様だなって()。

何言ってるの?と思うかもしれませんが、本当にそうなの。かわいいサマトキサマなんです。

で、ヒプステではより、「一郎は俺のもの」感(語弊)が出てまして。宿敵とはいえ、慕われていた過去は変えられないもの。サマトキサマの中では、一郎は所有物扱いなのかな、と思います。だから、自分の所有物を処分するのは自分でなければいけない、という思いがあるのかな、と思います。

あとね、カテコのあと、くしゃって破顔した阿部顕嵐くん。めっっっっっっっっっっっっちゃかわいすぎたね???私、阿部顕嵐くんのことあんまり知らないけど、思わず周りの人と一緒にピギャってしまいました。その時の笑顔は、左馬刻がヤクザの道へ進むことなく、幸せに過ごすことができたifの未来では見れたのかな、とちょっと感傷的にも感じています。

 

入間銃兎 二次元から出てきた推し

そして、推しの入間銃兎!!!!!!!ヒョォ!!!!!!イルマティックイルマジュート!!!!!!

あ~~~~~~~~~~~まじで入間銃兎がそこにいたんですよ~~~~~~~~~~~この感動わかる???わかる???わかるよね???

最初に各キャラがスクリーンとともに出てくる時にね、銃兎が出てきた瞬間、泣きそうになってひたすら手を口に当てて嗚咽が漏れないように頑張ってたくらい。後で、お隣の席のお姉さん(めっちゃ好みの美人さん)に「ハマ推しだと思ってました~それも銃兎さん。幸せそうなのが伝わってきましたよ」って言われたくらいです。

まず脚が長い!!顔のすぐ下は股下じゃない???って言うくらい長い。頭身おかしいし、見た目もまんま入間銃兎で、しょっぴくぞ、っていうの。しょっぴいてください。銃兎さんの取り調べ受けたい。

2幕で客席降りがあるじゃないですか。

そうです、ここで私の運命が左右されました。

ハマの曲のとき、サマトキサマと銃兎が近くまで来てくれたんですけど、中でも銃兎は2回も近くまで来てくれて、曲の最後は私の真後ろにいたわけです。私に背中を向けてはいましたが、ほぼゼロ距離に入間銃兎がいたんです!!!!推しをこんなに近くで見られる機会なんてあります?刀ミュにも行ったことありますが、そんなゼロ距離に推しが来ることなんて奇跡なんですよ。それが、たった1回しか行かない、たまたま取った席に、推しが、来るなんて、私幸せすぎて死ぬんじゃないか…と本気で思ってます。

唐突に中の人の水江さんの話になりますが、まじでスタイル良いの。私ね、個人的に若い男性の寸胴体型がすごい好きなんです。腰からお尻にかけて一直線にストン、と落ちるような体型。かっこいいな、と思うんです。

で、何が言いたいかわかりますね?

私の真後ろにいる推し。私には背中を向けている。推しは背が高い。

つまり。

推しのお尻が目の前にあるわけです。

は~~~~~最高…あの引き締まった腰のラインが目の前にあるんです。推しの腰のラインが目の前にあるんです。

こんなことあります?推しの腰のラインをめちゃくちゃ近い距離で見ることができるなんて、誰が想像しましょうか……。

隣の席のお姉さんと思わずはしゃいでしまいました。今でも、その時の光景は忘れられません。

本編中も短気だけれど、一人大人な入間銃兎がいました。クールに見えて、人一倍自分の信念や責務に対しては熱心に取り組むところ、非常に大人で好きです。

グチグチ言いながらも、やっぱり銃兎は左馬刻や理鶯のことをとても大切に、数少ない身内として認定している様子がよく伝わってきました。大切にしているといっても、決してベタベタした付き合いではなく、人付き合いに対しては淡白そうな彼が真っ先に頼る先が彼ら、という身内感が感じられて、ハマの女はとても嬉しかったです。

あとね、2幕の最後、彼、スーツのジャケットの前ボタン外した状態で舞台上に上がってたんですよ。入間銃兎がですよ?これは、現実…?いや、夢か…?と呆けてしまいました。

最高なんです、彼。

 

毒島・メイソン・理鶯 ハマの良心であり、大きな懐を持つ

毒島・メイソン・理鶯。彼もそのまま二次元から出てきたような人でした。まじでイケメンだし、パッと見でわかるほど彼は純粋であることが分かりました。元々、純粋で純朴な青年だと思っていましたが、動きがつくことでよりそれが如実に現れていたと思います。

テーマ曲的なあの曲(分かってください)の時、ハマの3人はそれぞれ特徴のある動きをするんですね。左馬刻はあんまり動かないし、銃兎は上品に手首から先を動かします。でも、理鶯は期待を裏切らず肩からブンブンと動かすんですよ~。豪快さ野性味がそのまま動きに現れていて、それに左手には無線機型のヒプノシスマイク…理鶯さんと呼ばせてください、ついていきます、理鶯さん。と目が離せなくなりました。

彼は常にスタンスが崩れません。常に落ち着いている。

意外にも、理鶯は研究部門にいた人に対しても覚えていて、もしかしてこれは理鶯の野生の勘が成せる技か…?とも思いました。まあ、理鶯も研究部門に関わっていたかもしれないしね。でも、軍部にいた理鶯、あんなに優しいのに多くの命が消費される現場に立ち会ってきたんだな…と思うと胸がキュっとなります。理鶯の本質はきっと平和主義だったんじゃないかな、と思うと戦う道を選んでいる理鶯は強い人間だと思います。

目つきは鋭く笑顔を見せることはあまりありませんが、理鶯は表情が柔らかいような気がします。あまり世間に対して頓着しないタイプだと思いますが、短気な左馬刻と銃兎の仲裁役を務めるのは決まって彼。そこに、彼の優しさや大切なものに対する慈しみ方が現れているような気がします。 

 

さすがハマの女なだけあって、ハマに対する感想は尽きることがありませんが、まじでそこにヨコハマ・ディビジョンの3人はいたんです。

やっぱりヨコハマは最高です。ハマは最高。

物語の話を回すような役回りが多かった今回ですが、さすが大人。行動に余裕がありました。ヒプノシスキャンセラーを探す時にちょっと焦ったような銃兎と理鶯も、偶然見つけたヒプノシスキャンセラーをニヤッと怪しく笑って壊す左馬刻も、数年長く生きているから、という理由以外にもさまざまな苦しい状況や、死にたくなるような場面を乗り越えてきたからこそ、醸し出す人間としての余裕がありました。

 

アカバネ・ディビジョンー恐るべき刺客・気を付けろ、沼だぞ、こいつらー

 はいどうも~~~。ドボンとアカバネ・ディビジョンに落ちた奴です~~~。

こんな分かりやすい悪役、気になるじゃん?しかも、知ってる俳優さんの松浦司さん(通称まっちゃん)が出てるじゃん?新キャラじゃん?

ほうほう、どんなものか、と思ってじっくり見てたらさ。

まさかの一番好きなキャラクター、堂庵和聖がリーダーとかさ~~~しかもめちゃくちゃ強いの。それぞれの信念も思いもある中で、強くあろうと藻掻く悪役って最高じゃないですか?すごい好きです。

 

堂庵和聖 心優しき反逆者

堂庵和聖さん。私の新たな推しです。

私ね、こういう気が弱くて、でも世界を変えたいから、と自分を奮い立たせて悪役でも強く立ち上がろうとするキャラクターが大好きなの。本当に大好きだし、それに加えて、キャラクターのルックスがめちゃくちゃ好きなんです…。コーンロウってほどでもないけどいかつい編み込みの長髪に、優しい表情、ダボッとした服装だけど清潔感がある。

そもそも、カズだったときから好きだったんですけど!さらにそれがNBの強面たちを率いるリーダーとか!もう落ちない方がおかしいんじゃないかなって!!!!思うんです!!!!!!

いっちゃんとの曲、本当にめちゃくちゃ好きなのにCDに入ってないとかおかしいんじゃないの!?と家に帰ってからちょっとキレたんですけど、まあ、Blu-rayに特典として付くらしいのでそれまで我慢します。舞台ものにしてはそこそこ早い4月発売なんで、冬を越せば届くからね、待ってる。

サビで歌うときね、堂庵さん、ちょっと顎をしゃくらせて歌うの。茶化してるわけじゃなくて、そうやって歌う姿に彼の優しさを感じられたんです。声を張り上げて歌うわけじゃない。響きを大切にして歌う姿は、堂庵和聖の本質がそこに見えていた気がするんです。全て勝手な妄想ですが。

「いっちゃんは昔から俺の憧れだった」山田一郎、お前のことは嫌悪していた」

カズと堂庵和聖の言葉ですが、どっちも本音だと思うんです。

山田一郎のところで先述したように、山田一郎はどこまでも真っ直ぐに正しい人間です。でもその正しさは時として、人を傷つける刃にもなることは、彼自身知りません。

堂庵和聖はその刃に倒れた一人でもあると思うんです。彼自身は力がない。何の後ろ盾もなく、社会的弱者へと落とされてしまった。そこから這い上がることは並大抵の事ではなく、とてもじゃないけれど自分一人ではどうすることもできない。

その時に見えた山田一郎の姿は、憧れるほど強く眩しく、そして憎くなるほど光り輝いて見えたことでしょう。

 もしも、自分に力があれば。

 自分が悲しみ苦しんだこの世界を変えてやる。

その時、何の因果か手にしたヒプノシスマイク。皮肉にも彼は、自分をここまで落とした道具に縋ってしまうことになります。

力を手にすると、人は暴走を始めます。ヒプマイの既存キャラが暴走しないのは、それぞれが自分の制御できる力を、無意識な部分もあるかもしれませんが弁えているからです。

 これまで持っていなかった以上の力を急に与えられた。例えるなら、堂庵和聖には小さなコップを満たすだけの力しかなかったのに、急にそこに滝のように力が注がれてしまうと、溢れた力はどこへ行く?

暴走してしまいます。

きっと、堂庵さん、もっと平和的に世界を変える手段を思いつける人間だったと思うんです。元々悪党な人があんな優しい顔をできるわけないし、最後まで一郎にヒプノシスマイクを手放すように言うか?と思うと、私の答えはです。

二面性といえば簡単ですが、彼はずっと優しさと憎しみの間で自分自身とも戦っていたんだと思います。

願わくば、彼のその後に幸福な未来が訪れんことを。

 

狐久里梁山 血気盛んな太陽

正直言いますと、あんまり彼のこと覚えてないんです……すいません。

左馬刻と過去に因縁があった、NBの元リーダーだった、ということくらいしか覚えてなくて印象薄いんですけど。

それでも、彼はアカバネ太陽だったんだと思います。

アカバネは3人とも利害の一致で集ったチーム。チームワークなんてものは端から期待していないものと思います。

でも、彼はとても楽しそうでした。この2人と組めることが楽しくて、バトルできることが楽しくて。ずっとニコニコ(ニヤニヤ?)していて、彼は根っから明るい人種なんだな、と思ったんです。

あーーー、私の記憶力が恨めしい…あと1回は観たい…。

 

蛇穴健栄 欲望のままに、思いを貫く

まっちゃん(松浦司)さんでしたね!

いやー、芸達者にも程がある!あんな冷徹な雰囲気のまっちゃん初めて見た…それもいい。

元軍の関係者。ヒプノシスマイクの研究をしていて、そこから自分の欲望のために研究内容を捻じ曲げていったという、あんな風体しているのにやっていることはマッドサイエンティストという、なんともギャップがあるキャラクター。

いいですね~。好きです。

きっと蛇穴さん、ディビジョン・ラップ・バトルには興味あんまりないと思うんです。自分のしたいことができる環境とがあればそれでいい。ついでに、その環境を作る人が自分の感覚と合う人ならなら良い、くらいの感じじゃないのかな、と思います。

もう少し彼については掘り下げを見たかった気がしますが、舞台オリジナルなのでこれくらいにとどまるのかな、と納得はしています。

 

この3人、おそらく堂庵和聖の恐怖政治的な関係だったんだとは思いますが、それでも彼らの中に絆(には満たないかもしれないけれど)に似た関係性はあったんじゃないかな、って。

これでNBは解散になるとのこと。でも、いつかこの3人が再び出会ったときに、あの時は…と懐古できるような関係は続いていってほしいです。

アカバネは・ディビジョンに落ちた女からは、ただ、彼らが今後幸せに生きていけるような世界が作られることを切に願います。

 

結局の所

とまあ、いろいろウダウダと書いてきましたが、つまるところ、

なんかキラキラして、すごいダンスを見て、とにかくいい曲でヴァイブスを上げて、目の前に推しがいる

というハイパーな空間にいたらテンションもブチ上がるよ!

と言いたいだけです。

1幕の脚本は多分、人を選びます。

それに、新たなメディアミックスをするにあたって、これこそ正に多大なる独断と偏見ですが、この世には4種類の人間がいると思います。

 ①声を優先する人種

  →声優のコンテンツなら、声優さんの声でなければ受け付けない

 ②ルックスを優先する人種

  →見た目がキャラクターでなければ受け付けない

 ③声もルックスも優先する人種

  →3次元でする時点で、そもそも同列ではない

 ④雑食

  →とにかく面白ければ、声もルックスも多少違えどOK

 

もっと細分化すればいろいろ分かれるとは思いますが、概ねこんな感じじゃないかと思っています。

私はお気付きの通り、④の雑食なので、ヒプステも抵抗なく受け入れられました。とにかく私の感性にはピッタリでした。

でも、①~③に当てはまる方には、強くおすすめはしません。

そもそも、舞台というコンテンツ自体、触れることがないとよくわからないものだと思います。そして結構な博打です。特にヒプステは。

合う合わないが激しくて、脚本は良いけど演出が、とか、演出は良いけど脚本が、とか、そもそもこのキャストの演技が合わない、とかとか…。

だから、私が言いたいのは、

ヒプノシスマイクの楽曲良いよね!!!!それがいい具合に散りばめられた舞台ヒプノシスマイクは私はめちゃくちゃ楽しかった!!!!

以上!!!!!

という感じです。

 

推しが生きていることを感じられたので、明日からも生きられます!

12/1には全国でライビュ&ニコ生で配信があるので、興味があれば観てください!